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蛍を見た


ちょっと前のこと。蛍鑑賞会とやらに出かけた。明るい昼下がり、電車で数駅の小さな町へ。

鑑賞会の時間よりかなり早めに到着。
半年ほど前に用事でその町を訪れた時、駅前に良さげなパブがあったのを当日にふと思い出し、明るいうちからビールを飲むに相応しい快晴だったから寄ろうと思って。


線路沿いにある、こじんまりとしていて、これぞ郊外にあってほしい(が実際は滅多にない)という趣のパブ。
客はなかった。開け放したドアから入れるか聞くと、中年の男が怪訝そうに頷く。場所柄、一見のひとり客が珍しいのか、そもそも俺の風体が人間として怪しいのか。

メニューの1ページ目にどうやら推しているらしきクラフトビールがあったので、それを頼んだ。朝から何も食べていないのに気付いて、空腹にアルコールもなんだから、チーズクラッカーも。クリームチーズとピクルスが乗ったシンプルなものだったが、とても美味かった。華やかな風味のビールによく合う。

落ち着いて棚に並ぶウイスキーを見回す。カティサークがあるのに気付き、ソーダ割りでも良かったなと後悔しそうになるが、こんな晴れた夕方に、戸外の風の流れ込むパブで飲むなら、ビールのほうが美味いにきまってると自分に言い聞かせる。
十分に吟味せずに注文してしまう、よくやるミスだ。

店主が玩具マニアなのか、細々したミニチュアやフィギュアがあちこちに並んでいた。映画のキャラクターだったり、動物だったり、と思えば彼らの間にガチャガチャで取れそうなクレヨンしんちゃんがいたり。その脈略のなさからくる風通しの良さが好ましい。
フォークギターも置いてあって、こんな時に、いつかどこかで聞いた歌を、口遊みながら爪弾けたりしたらさぞ愉しかろうと思う。
フォーク調の英語の音楽が薄く流れていた。とはいえ俺は過度に無知なので、あれはフォーク調でも英語でもなかったのかもしれない。
壁には、飾り気のない木枠の額に、古い外国のポスターだったり絵葉書のようなものが入れてあった。なかでも目を惹かれたのが、アメリカの玩具メーカーの販促チラシなのか、人気トップ10の玩具を児童向けのイラストで紹介している色褪せた紙片があり、なんとも愛らしかった。

さらさらと風の流れ込んでくる戸外を、カウンターに肘をついて眺めた。外は黄金色に眩く、店の中は薄暗い。黒っぽい木の床の、扉の辺りの光と影の境は淡い。
店に面した道路を、踏切待ちの車が停まったり、そうかと思うと走り出したり。ときおり歩道に人も過ぎ去っていく。ほとんどが自転車に乗っていて、若い親と、幼い子どもだった。
煙草をふかしながら、その子らと目が合う。
育つ町にこういう店があって、毎日のように店内の大人たちを覗き見るのはどんなふうだろう。

踏切が近くにあるというのに、不思議とひっそりしていた。車の走りも緩やかに見えた。店の男も話しかけてこようとはしなかった。
道路の向こうに、枝葉を青空に広げている街路樹があって、絶えず微風にそよいだ。
風景の全体に向かって、あれこれと思いを浮かべるともなくぽっかりした気分でいるうち、静かに日が落ちた。
徐々に空の青が紫に移ろうのを見ていても、空の色が変わっていくとのみ感じていたのが、街路樹の脇にある街灯がぽつんと白く灯った時、日が落ちたとようやく認識した。
ビールを飲み干して店を出た。安くもないが、高くもなかった。

日の沈みつつある空に、満月の鮮やかな日だった。


蛍の鑑賞会へ向かった。
店から歩いて数分の、市の名を冠した「緑化センター」といういかにも地味な施設で行われる。敷地内に整備してある庭園で、浮遊する蛍が見られる。
あんまり前情報も持たず、市管轄の施設で参加費も無料だから商業性の薄い地味な催しだろうぐらいの気軽さで行ってみたのだけど、意外にも敷地の外まで長蛇の列ができていた。しかもほとんどが幼い子連れの家族。これには、どこへ行くにも1人が当たり前になっている俺ですら流石にちょっと気まずかった。

列に並んでいる間、もうすっかり暗いので本も読めず、イヤホンを忘れたので気を紛らわすこともできないで、ただただ突っ立っていた。
後ろが若い男女4人組のようで、その会話が嫌でも聞こえた。
男2人が大学での研究の話をしていて、女性連中が顔を見なくてもわかるぐらい退屈しており、勝手にこちらがハラハラしてしまった。
自分にもこういう瞬間が何遍もあったし、またこれからもあると思うと居た堪れなくなり、イヤホンを忘れた自分を心底恨む気持ちにもなった。
途中で女性組が「屋台出てるんやっけ?」と楽しみにしていたが、屋台なんて気の利いたものは入口から出口まで当然なかった。施設の敷地に入って少ししてからは列が崩れたので、あとの彼らの様子は知らないが、帰路の空気が心配である。
というかそもそも、ダブルデートに市が主催する学習色の強い催しを選ぶな。どうしてもそのデートがしたいんなら相手を選べ、お前らの研究の話に退屈しすぎて途中から「即興替え歌」って鬼のメチャ振りされてたがな。その手の子を「緑化センター」の「蛍鑑賞会」に連れ出したらあかんやろ。
……しかし青年2人を俺も笑う資格はない。というのも、数日前まで俺も誰か誘いそうになってたので。

施設内には種々様々の草花で構成された庭園がいくつかあった。しかし混雑しているし暗いしでよく見えず、見物もそこそこに蛍のいる庭園への順路を進んだ。
庭園を目前として、温室に入った。そこを抜けると庭園で、温室の出口で庭園へと進む人数を職員が調整している。ちょっとテーマパークっぽくて、テンション上がってきたのか子どもたちのざわめきも大きくなる。
ある程度の人数が集まってから、職員がマイクで、蛍は光を嫌うのでスマホは出さないでくれなど、注意事項の説明をした。それから、豆知識の伝授があった。飛んでいるのは雄で、葉にとまっているのは雌。雄は飛行によって求愛をし、雌は自らの居場所を示す。
その話自体はへえ〜ぐらいで聞いていたら、隣にいた手を繋いでいる若い男女が目に入って、その2人の過ごしているこの夜の色っぽさに、強く惹きつけられた。

庭園は足元も不安になるほどの暗闇だった。
蛍火の鑑賞は初めてだけど、探す必要もないほど、たくさん飛んでいた。
星の瞬きのような、澄んだ光がふわふわと暗闇を舞う。
どこかから、かわいい、という子どもの声が聞こえた。たしかにかわいい。俺は虫がかなり苦手なほうなので、かわいいと思えるのが自分の心ながら不思議だった。
生物の姿形としてではなく、ひとつの遠い光として見えるからというのもあるけれど、動きのあとに暗闇に残る朧げな光線のおかげか、虫の動きに特有の無軌道な印象が和らぐようでもあった。
その清潔な光が、掌に触れられる生物の、自然の光というのがなんとも信じ難かった。人工か、あるいは天高い世界の光に見えた。雪が降るようでもあった。

幸福とも美的感動とも微妙に異なった、夢心地としか言いようのない心境のまま、いつしか庭園を出た。
ガーデンライトのある順路を、先ほどまで怪しかった足元に地を踏み締める感覚がまだ妙に生々しいのを味わいながら歩く。ふと、前にいる親子の声が耳に入った。母親が、今年も綺麗でしたねと、幼い息子に語りかける。早い時間に来るのはいいねえ、と言うと、息子が、来年はもっと早く来よう、と頷いていた。
この郊外の町で、この人工のささやかな庭園で、来る年も来る時も蛍火を見る。彼らに降り積もる尊い時の重なりを思って、胸を打たれた。



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