まるお食文化エッセイ『絶滅危惧どんぶり』
昔ながらの風情ある食堂を我々マニアは敬意を込めて『ノスタルジック食堂』と呼ぶ。ノスタルジック食堂には洋食系と和食系がある。洋食系については拙書『名誉唎酒師のばかやろう!(クリック!)』の『sake30.絶滅危惧洋食と安ワイン』で詳しく書いている。
今回は和食系の『絶滅危惧どんぶり』について書きたいと思う。和食系ノスタルジック食堂の中核は『うどん屋(麺類食堂)』である。ノスタルジック系のうどん屋は、うどん屋と言えども讃岐うどんのようなコシを求めたり、出汁にこだわっているわけではない。私的には「ちょっと腹の具合が悪いが、何か消化の良いものでも食べないとなぁ~」という時に仕方なく注文したりする程度のクオリティだと思っておいたほうが無難である(叱られるかな?)。うどんだけでなく大抵蕎麦もあるが本格的な蕎麦屋の蕎麦には遠く及ばず、蕎麦通には全く物足りないものだが、これも「うどんは食いたくないな、仕方ないから蕎麦でも食うか」くらいの大きな気持ちで食うと心穏やかに食える(絶対叱られる!)。いやむしろ、うどん通や蕎麦通に受け入れられるようなお店は、我々マニアが愛するノスタルジック食堂ではないのだ。また、ノスタルジック食堂では、うどん屋のくせにラーメン(中華そば)のある店がとても多い。昔ながらの醤油系中華そばと相場が決まっているが、この一見なんの変哲もないラーメンが予想外に美味かったりして侮れない。ふと周りを見渡してみると、お客はみんなラーメンしか食ってなかったりする『うどん屋』もある。
さて、うどん屋のご飯物といえば丼物である。定番はまず第一にカツ丼、それから親子丼や玉子丼、天丼といったところになるであろう。天丼は天麩羅専門店のそれには遠く及ばないが、カツ丼はなぜかトンカツ屋のカツ丼より美味い場合が多い。うどん屋のカツ丼にはその店独自のスタイルがあり、同じ具材を使っているのに出汁や卵の具合などで味が全く違ってくる。一般的にカツ丼はトンカツを出汁と醤油、砂糖などを合わせた割下で煮て、溶き卵でとじ、御飯の上にのせたものであるが、地方による特色が豊かで、以下のようなカツ丼が定番の地もある。
ソース系を使ったものとしては、『ソースカツ丼(岩手、福島、群馬、福井、山梨、長野)』『ドミグラスソースカツ丼(岡山、広島)』、ケチャップベースの『洋風カツ丼(新潟、福岡)』などがある。『醤油カツ丼(福井、岐阜)』の派生系として『醤油だれカツ丼(新潟)』『下仁田カツ丼(群馬)』などがあり、『タルタルカツ丼(群馬)』という醤油ダレをかけたトンカツの上にタルタルソースをのせたものもある。名古屋でも醤油カツ丼が食べられるお店がある。『わだ泉(守山区)』は、スライス肉を何枚も重ねて太い棒状にしたトンカツが3つほど丼にのっていて、その様は少々エロティックである。食べている途中で出汁をかけてお茶漬け風にして食べる。「名古屋人はどんな食いもんもひつまぶし風にしなきゃ気が済まんのか?」と怪訝な気持ちで食べてみたが案外美味い。お隣の岐阜県は『醤油カツ丼(中津川)』のほかに、溶き卵の和風餡をかけた『あんかけカツ丼(瑞浪市)』、ケチャップ風味の『てりカツ丼(土岐市)』などバリエーションが豊富だ。
愛知県のカツ丼といえば断然『味噌カツ丼』である。味噌カツ丼の聖地『味処 叶(名古屋市中区)』は、八丁味噌だれで煮たトンカツをドーナツ状に数枚丼にのせて、空いた真ん中に同じ味噌で煮た半熟卵がのせてある。味は見た目よりはずっとあっさりしている。また私がイチオシの味噌カツ丼は『岩正(名古屋市東区)』のもので、味噌カツを卵でとじてある珍しい逸品である。しかも600円とどえりゃあ安い!味噌カツ丼は、味噌だれで煮たもののほか、味噌だれを上からかけたものなど様々なタイプがあるが、味噌カツ丼オタクに言わせると、生の千切りキャベツがご飯の上に敷いてある味噌カツ丼は邪道なのだそうで「そんなもん、名古屋の味噌カツ丼とは到底認められんがや!」と鼻息が荒い。
ノスタルジック食堂の丼物には必ずあって欲しいメニューが3つある。しかし、今や『絶滅危惧どんぶり』に指定され、その姿を見ることが極めて少なくなった。それは『木の葉丼(このはどん)』『志の田丼(しのだどん)』と、幻の中の幻丼!『天南丼(てんなんどん)』の3つの丼物である。
木の葉丼は、主に近畿地方から東海地方にみられる丼で、薄く切った蒲鉾(名古屋では縁が朱色の蒲鉾が必須!)と青葱を卵で綴じたものである。椎茸、三つ葉、筍などを入れることもある。中には『丸岡屋(名古屋市北区)』のように、油揚げや鶏肉まで入っているというブルジョワ級なものもある。木の葉丼の名前の由来は、具材が舞い散る木の葉のように見えることから名付けられたそうだ。
志の田丼は、名古屋を中心とする東海地方でみられ、油揚げと青葱を出汁と醤油、砂糖などで煮てご飯の上にのせたものである。基本的には卵でとじない。カツカレー丼で有名な『山田屋(名古屋市東区)』では、木の葉丼も志の田丼も卵でとじるかとじないかを選ぶことができる。『志の田』の名の由来は、大阪府和泉市にある信太森葛葉稲荷(しのだもりくずのはいなり)神社の『葛の葉ぎつね伝説』から由来しており、狐の好物が油揚げという言い伝えから、志の田丼だけではなく、油揚げを使う料理全般につけられている。『信田丼』『信太丼』と表記することもある。尚、この伝説は歌舞伎『蘆屋道満大内鑑』や歌舞伎舞踊『保名』などの演目となっている。また、京都には『衣笠丼(油揚げと青ねぎを卵でとじたもの)』という志の田丼に似た丼が定番としてある。これを大阪では『きつね丼』という。
さて3つ目の天南丼は滅多にお目にかかれない『超・絶滅危惧どんぶり』である。ほぼ名古屋にしか存在せず、しかも数軒にしかメニューにないばかりか、その希少な数軒のメニューリストからも徐々になくなる傾向にあると聞く。名古屋市内でおそらく現在も食べられると思われる主なお店は、『浅田屋(中区伏見)』『徳重屋(中区栄)』『岩野屋(中区千代田)』『玉扇(熱田区)』『岩正(東区)』『角丸うどん(東区)』『春乃屋(北区)』『かどふく本店(守山区)』などである。天南丼とは、海老天と青葱を出汁と醤油、砂糖などで煮てご飯の上にのせたものである。天南丼の天は海老天のこと、南は南蛮からきていて、文政13年 『嬉遊笑覧(1830年)』の鴨南蛮の項に『又葱を入るゝを南蛮と云ひ、鴨を加へてかもなんばんと呼ぶ。昔より異風なるものを南蛮と云ふによれり』と記されていることから葱を使用した料理に南蛮が用いられた。下方町にある『天徳(千種区)』では、葱のほかにピーマンが入った独特の天南丼が食べられる。
最後に京都の絶滅危惧丼を2つ。京都三条に『篠田屋』というノスタルジック食堂がある。ここには『皿盛』とよばれる丼物(厳密には名の通り皿で供される)があり、この店の名物である。皿盛は、ご飯の上に薄いトンカツが乗せてあって、カレー風味の餡がかかったもの。味は一般のカツカレー丼とは全く違う別物である。これもこの店しかない独特の丼である。また、京都の老舗鰻屋『かねよ(京極)』は、『きんし丼』という鰻丼が名物で、鰻丼の上に鰻が見えないほど大きな厚焼き玉子がのっている。『皿盛』も『きんし丼』もその店でしか味わえない丼で、お店が無くなってしまえば食べることができなくなる絶滅危惧どんぶりである。
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