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    名誉唎酒師まるおのアホな日常の話から楽しく酒のことが学べます

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まるお食文化エッセイ『浅草一泊二日酒呑み放浪記』

 昨日から冷やしておいたシャンパーニュとプラスチックのワイングラスを保冷バッグに入れる。お気に入りのパン屋さん『ル・シュプレーム(JR名古屋高島屋)』でパテ・ド・カンパーニュのサンドイッチを買い新幹線に乗り込む。発車と同時にシャンパーニュを抜栓し、私の酒呑みの旅が始まるのである。  浅草は一日中楽しめる街だ。しかも酒呑みに滅法優しい。伝法院通りの『大黒屋天麩羅本店(浅草1-38-10)』にはいつも長蛇の列ができている。本店が混んでいれば、すぐ近くに別館があるから迷わずそっち

    • まるお食文化エッセイ『玉子が好きすぎて困る』

       今回は私の玉子愛について項目別に整理して書いてみる。玉子愛について書く前に『たまご』は果たして『卵』なのか『玉子』なのか?私の考えでは『卵』は絶対的に生卵であり、『玉子』は生でもいいけど基本的には加工してあるものという認識である。なぜこんなに曖昧かと言えば、生卵を使う『卵かけご飯』は『玉子かけご飯』のほうが美味しそうだからである。しかしながら、すき焼き屋で「たまご追加お願いします!」は、『卵』ではなく、『玉子』でもなく、ひらがなの『たまご』の方が愛が感じられる。余計にわから

      • まるお食文化エッセイ『柴又帝釈天で酒を呑む!』

        「わたくし、生まれも育ちも葛飾柴又です。帝釈天で産湯を使い、姓は車、名は寅次郎、人呼んでフーテンの寅と発します」  柴又帝釈天は、正式には題経寺という名称であり、日蓮宗のお寺である。 帝釈天(たいしゃくてん)は、仏教の守護神である天部(てんぶ)の一つで、バラモン教・ヒンドゥー教・ゾロアスター教の武神(天帝)と同一の神である。仏像を見る時に覚えておくといいが、尊像は上位から『如来』『菩薩』『明王』『天』という4区分となっていて、帝釈天が属する『天』はその4番目にあたる。インド

        • まるお食文化エッセイ『タモリは何故えびふりゃ~と言ったか』

           1980年前後に名古屋を震撼とさせる大事件が起きた。人呼んで『名古屋タモリ事件(事変と言っても良い)』である。タレントのタモリが「名古屋人は『見栄っ張り』『ケチ』」から始まり、「名古屋ではエビフライのことを『えびふりゃ~』と言う」と言い、名古屋人はエビフライを最高のご馳走だと思っていると言い放った。これはタモリの友人である写真家浅井慎平氏(瀬戸出身)との会話の中でエビフライの話題が出たのがきっかけらしい。名古屋には三英傑(信長、秀吉、家康)縁の地という自負があり、それまで批

        まるお食文化エッセイ『浅草一泊二日酒呑み放浪記』

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        • まるおの食文化エッセイ
          19本

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          まるお食文化エッセイ『ロマネ・コンティの呑み方?』

           世界最高のワインは何かと問えば、誰しもがまごうことなく『ロマネ・コンティ』と答えるであろう。ロマネ・コンティとは、ドメーヌ・ド・ラ・ロマネコンティ社(DRC)が単独所有するフランスのブルゴーニュ地方ヴォーヌ・ロマネ村にあるグラン・クリュ(特級畑)のワインである。20年くらい前には1本20万円程度で買えたものが、現在は100万円近くなっている。噂では中国の買い占めによるものらしい。私は今までロマネ・コンティを新酒から古酒まで何本か呑んでいるが、初めての出会いは忘れられずに鮮明

          まるお食文化エッセイ『ロマネ・コンティの呑み方?』

          まるお食文化エッセイ『ビール会社の社長に直訴??』

           日本酒、ワイン、蒸留酒などすべての酒に詳しいように思われているが、実はあまり詳しくないジャンルが二つある。ひとつはビール、もうひとつはカクテルである。(カクテルについてはまた今度)  最近でこそ宴の初めにビールを呑むことはあるが、元来あまり好んでは呑まなかった。最初にビールを呑みすぎるとお腹が膨れて食事が入らなくなる気がするし、ビールはヒスタミンが多いからなのか、体調によっては酔いが異常に早く回る時があって往生するからである。毎年のオクトーバーフェストやベルギービールウィ

          まるお食文化エッセイ『ビール会社の社長に直訴??』

          まるお食文化エッセイ『もう無いから言える柳橋市場の闇』

           名古屋駅の東側にある柳橋中央市場は、水産ビル、水産第2ビル、マルナカビル、丸綜ビルを中心として、鮮魚、野菜などの仲卸や食材などを扱う数々のお店があった。今はマルナカビル以外はすべて閉館してしまい、多数の店が撤退したため、飲食店などの仕入れは日比野市場や北部市場を利用することになり、客が激減している。  毎朝市場で一番に出会うのが伏見にある居酒屋・大甚の大将である。大将の孫と私の三男が同級生で友達ということもあったり、大将が万博好きで、毎週のように会場で顔を合わせていたから

          まるお食文化エッセイ『もう無いから言える柳橋市場の闇』

          まるお食文化エッセイ『私の中の三大ワイン』

           ワイン講座をしていると、受講者の方に必ず訊かれる事がある。「先生の好きなワインの銘柄は何ですか?」とか、「一番美味しいワインは何ですか?」というものである。世界的ワイン評論家アンドレ・L・シモンが、「世界一美味しいワインは何か?」という記者からの質問に、「それは思い出のワインである」と応えた。もう一つ踏み込んで言えば、何が美味しかったかというより、誰と呑んだかがワインにとって最も重要なのではないだろうかと思う。  しかしながら、誰と呑もうが厳然として美味いワインというのは存

          まるお食文化エッセイ『私の中の三大ワイン』

          まるお食文化エッセイ『酒呑みのための蕎麦哲学』

           『蕎麦切り(現在のような細長い蕎麦)』の発祥というのは、諸説あるがどうやら甲州の天目山あたりらしい。天野信景という尾張藩士で江戸時代中期の国学者がそう書いている。蕎麦切りが一般的になったのは、江戸時代寛永年間(1624-1645)のことで、それまでは『蕎麦がき』のように蕎麦粉をこねて食べていたらしい。『蕎麦は江戸』『饂飩は上方』と、よく人は言うが、実際の歴史はちょっと複雑である。元々は、甲州や信州からまず上方に伝わり、貴族や僧侶に食べられ、次に上方の庶民にも浸透する。その後

          まるお食文化エッセイ『酒呑みのための蕎麦哲学』

          まるお食文化エッセイ『東京ビーフシチュー物語』

           シチューの名前が日本で初めて出てきたのは、明治4年に東京の九段(現在の千代田区富士見町)にあった西洋料理店『南海亭』の品書きに『シチウ 牛、鳥うまに 二匁五分五リン』と書かれていたものが最初である。翌年明治5年には、仮名垣魯文『西洋料理通』にも、牛肉、豚肉、トマトなどを用いたシチューが紹介されている。レストランのメニューとして普及したのは明治の中頃からで、明治37年には、日本帝国海軍の食事として『煮込み』の名でシチューが供されている。  元々シチューは、16世紀後半から1

          まるお食文化エッセイ『東京ビーフシチュー物語』

          まるお食文化エッセイ『絶滅危惧どんぶり』

           昔ながらの風情ある食堂を我々マニアは敬意を込めて『ノスタルジック食堂』と呼ぶ。ノスタルジック食堂には洋食系と和食系がある。洋食系については拙書『名誉唎酒師のばかやろう!(クリック!)』の『sake30.絶滅危惧洋食と安ワイン』で詳しく書いている。  今回は和食系の『絶滅危惧どんぶり』について書きたいと思う。和食系ノスタルジック食堂の中核は『うどん屋(麺類食堂)』である。ノスタルジック系のうどん屋は、うどん屋と言えども讃岐うどんのようなコシを求めたり、出汁にこだわっているわ

          まるお食文化エッセイ『絶滅危惧どんぶり』

          まるお食文化エッセイ『グランメゾンする愉しみ』

           昨年『グランメゾン東京』というドラマがあった。主人公のシェフ役がキムタクで、ミシュランの三つ星を目指すというものだ。グランメゾンとは和製仏語である。一般的には最高級三ツ星クラスのフランス料理店などをいい、1990年ごろの日本においでは、『アピシウス』『マキシム・ド・パリ』『トゥール・ダルジャン』『シェ・イノ』『レカン』『ロオジエ』(以上東京)、『アラン・シャペル』(神戸)などを指した。グランメゾンは、その店で食事をする事だけを目的にわざわざ旅する価値がある店でなくてはならな

          まるお食文化エッセイ『グランメゾンする愉しみ』

          まるお食文化エッセイ『ユーミン恋酒論』

           拙書『名誉唎酒師のばかやろう!』で、名古屋を代表する幻のシンガーソングライター門あさ美さんの楽曲から『門あさ美恋酒論』を執筆した。今回は恋酒論第二弾『ユーミン恋酒論』である。松任谷由実(ユーミン)さんの曲にはお酒の歌詞があまり多くない。ユーミンの全盛期の頃は、高校生や大学生あたりの20才台前後をターゲットにしていたからというのが大きな要因なのではないだろうか。1980年代から90年代頃、環八用賀IC近くにあったファミレス『イエスタディ』でユーミンが若者の恋バナをこっそり盗み

          まるお食文化エッセイ『ユーミン恋酒論』

          まるお食文化エッセイ『夏に通が食べる魚介10選』

           春には初鰹や鰆、三河湾の鳥貝などの貝類、初夏には長良川の鮎、秋には秋刀魚や戻り鰹、冬は富山氷見の鰤、日間賀島の河豚、鮟鱇、真牡蠣など、その季節にしか味わえない魚や、その季節だからこそ美味しい魚が日本では一年中楽しめる。イギリスなんて海に囲まれた同じ島国なのに、一年中フィッシュ&チップスに使う鱈(タラ)か、スターゲイジー・パイに使うピルチャード(大型のイワシ類)くらいしか魚を食べない。これは緯度が高くて海水温が低いので、生息する魚が極端に限られているかららしい。日本は豊富な魚

          まるお食文化エッセイ『夏に通が食べる魚介10選』

          まるお食文化エッセイ『果物についての勝手な感想』

          講座のテキストで『くだもの歳時記』というのを書いていたら、いろんなことを思い出したので、一部だけこっちにも書き記しておく。 苺  私の小さい頃に食べたイチゴは今ほど甘くなく大きくもなかった。今となっては小粒と言える苺に砂糖をぶっかけ、牛乳をドバドバかけて、スプーンの裏側で潰して食べるのが好きだった。いつの間にかイチゴは甘味が増し、これでもかと大きくなったので、何もつけずにそのまま手にとってかじることができるが、なぜか物足りない。今のイチゴはなんか水っぽいし、決定的に酸味のバ

          まるお食文化エッセイ『果物についての勝手な感想』

          まるお食文化エッセイ『涙のインド料理-まるお恋物語-』

           東京の銀座東急ホテルに勤務していたまるおは、27才で東京を離れ故郷の名古屋に戻ることになった。名古屋では家業の寿司店が大規模の別館建設を進めており、親戚やお客は「お前の親父がお前のために新しい店を造っている」と言った。しかし、私はそんな話は聞いていないし、正直帰りたくはなかった。私は東京が心底好きだったし、仕事もノリノリで上手くやっていた。だが無情にも帰郷命令は下る。役員待遇と高給を餌にまんまと釣られてしまったのだ。30年経った今も後悔している。  私は、残り少ない東京生

          まるお食文化エッセイ『涙のインド料理-まるお恋物語-』