第22回 SIDE-B「藤原兼家に認められ『兼家の左右の眼』と言われた平 惟仲/「光る君へのミラーワールド」

第22回 SIDE-B「藤原兼家に認められ『兼家の左右の眼』と言われた平 惟仲/「光る君へのミラーワールド」

さんたま(日本史学専攻卒業)/ゆうこ(高等学校国語教員免許保持者)
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NHK大河ドラマ「光る君へ」第22回「越前での出会い」
感想ラジオSIDE-B(歴史編)

今回は、平安時代版の豊臣秀吉とも言える平惟仲(たいらのこれなか)を取り上げております。

長徳2年(996年)7月の除目は

正二位 左大臣 藤原道長
従二位 右大臣 藤原顕光
正三位 大納言 源 時中
従三位 中納言 藤原実資
従三位 権中納言 平 惟仲
正四位下 参議 藤原忠輔

という記録が藤原実資の愚痴日記「小右記」にありますが、ドラマの中では道長と実資以外、すっとばされて無視されています(笑)

そのすっとばされた4人の中から

地方出身者でかつ現地妻から生まれたハンディを持ちながら、最終的に大臣クラスの従二位にまで昇進した、平惟仲について、語っております。

内容は

・父親は桓武平氏の血を引くものの、母は現地妻
・10年以上国司を務め、その実力を藤原兼家に認められヘッドハンティング
・弁官を務め上げ蔵人頭になり、やがて参議に。
・原則として親王ポストである正官の大宰師に任官
・大宰帥解任後、まもなく死去。

についてしゃべっております。

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