首の骨が折れたその瞬間

パッと眼を明け、見えたのが病院の天井だった。


その時、周りにはドラマで見る様な病院の機器がたくさんあり、体に管なども繋がっていた。口には酸素吸入機なども。


しかし、それを横目に


なんかまずいぞ。
体も全く動かないし、なにかやらかしたのか。
と考えた。


少しゆっくりと考えたが記憶がない。。。


当時の元カノが近くにいて僕にこう言った。





何が起きたかわかる?





当時2012年、日本だけじゃなく世界を見て回ろう。英語を使う仕事に就きたいという目標を立て、愛知県に移住し英語の学校に通っていた。
少しばかり英語を勉強し、そこからまずはオーストラリアに行こうと決めていた。元々、映画やドラマでも洋画が好きで外国語や外国人に抵抗感はなかった。その影響もあってか行きたかったラスベガス(カジノがメインではない)ハワイ、タイなど大人になってから行った。まだまだ知らない世界をこの体、肌で感じ、見に行こうと思って行動していた。


『知らないことを知る』


というのは刺激的で幸せでもあった。


これが自分の原点であり、今も変わらないものである。



その英語学校の夏休み中、バイト先の友達に誘われ男3人で愛知県の知多の海に車で2時間くらいかけて行った。

海は地元が福井県だけあってよく行っていたし、人よりも濃く日焼けするほど海が好きだった。

泳ぎも一般的な人より泳げるし、パワーもあった。

知多の海に着いて軽くお酒を飲み、のんびり海に入ったりしていた。

1.2時間経ったあたりで、友達があっちに飛び込み場みたいな所があるからそこに行こうよとなり、その場所に3人で向かった。





ここから人生が変わるカウントダウンが始まる…




その場所に歩いて10分ぐらいで着いた。
堤防沿いみたいな場所で高さ1m、海底1mぐらいになっており、恐怖という言葉は全く感じ取れない。むしろ、もっと高いほうが興奮するとまで思っていた。


友達がここからジャンプしよう!と言い1人目が飛び、足からドボンと入水した。その崖下には最初から入っている浮き輪を持った2人目の友達がいた。




さぁ次は





『俺の番だ』







僕は怖いという言葉があまりない。というよりも怖さに対して臆病さがない。これは凄く良い事でもあり、悪い事でもある。恐怖心があるからこそ人は色んな事をセーブできたり、理性を効かせることができる。その恐怖心が人よりも鈍感なのか、無いのか。海沿いの高さ5mぐらいある崖の飛び込み場から頭から飛び込んで入水することもできる。
経験ある人だったらわかると思うが5mはめっちゃ高い。下が深くて大丈夫って分かっていてもあの高さを自分の足で立った時、怖いと感じない人は少数であると思う。足からジャンプするのですら恐怖を感じる。それぐらいの高さである。
そんな場所ですら頭から飛び込み入水できる。もっと高くても変わらないであろう。
怖くないから、あの瞬間が楽しい!生きている!というおかしな感覚にもなっていた。




そんな人生を送っていた28年間であり、全ての行動の結果がその瞬間、これから変わる未来に繋がっていたのである。





『俺の番だ』


カッコよく頭から入水し、綺麗に決めてやるぞと心の中で思い助走をしていく・・・




・・・





・・・






あれ?ここはどこ?





青空と綺麗な海が目の前にあったはずだ。飛び込む時に助走をつけて走り出したあの時から、一瞬で病院の天井と切り替わっていた。





理解が追いつかなかった。




続く

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