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米国vs天皇

戦後日本の権力関係の構造は、左翼vs右翼、保守vs革新(リベラル)を表面上の対立軸としながらも、その根っこには、米国vs天皇が存在した。

欧米の世界覇権に楯突いた日本を単に敗戦させるのではなく、欧米覇権に楯突いた時どのような目に遭うかを世界(とりわけ共産主義国)に知らしめるための見せしめとしてHiroshima・Nagasakiを演出した後、天皇によって表現されてきた日本の國體(私はこの言葉を尾高朝雄が語った”ノモス”とほぼ同義に解する)をどうするかの判断を迫られた米政府は、おそらくは英国・オランダ王室系列からのアドバイスもあり、天皇制の温存を決めた。

米国の権力と天皇制を一方に、日本国憲法(国民主権と平和主義の建前)を他方に、両者の折り合い、バランスをどう取るかと言う、稀に見る複雑な構造を持つ権力ブロックを作り上げること、これがGHQのミッションであった。我々はともすると、この複雑構造を、ざっくりと、たとえば権力vs基本的人権、とか、保守vs革新・リベラル、とか売国派vs愛国派、とかの舶来の図式に単純化しがちだが、こうした図式で政治事象を見る限り、GHQ、欧米が作り上げた権力支配のマトリックスから抜け出ることはできない。

この権力ブロックは、驚異的成功を納め、その成功は、20世紀における米国の世界覇権、パックスアメリカーナにおいても基軸的な役割を果たすことになる。米国と天皇制の相互依存的な両建てを真の統治権力としつつ、これを日本国憲法という建前で装飾する、これが戦後日本における政治と行政の基本構図である。

我が国の憲法は、硬性憲法(改憲が難しい憲法)とされる一方、法規範としての実定性については極めて脆弱である。砂川事件における日米安保の違憲性をめぐる統治行為論という事実上の法的思考停止にはじまり、人権規定と統治機構の全般にわたって、戦後三四半世紀、日本国憲法はその法規範としての実定性の希薄さを露呈し続けた。

憲法という国制の骨格ルールが脆弱で実効性が乏しい場合、剥き出しの権力闘争が常態化し、国家の統治は困難になるのが通常だが、日本においてはなぜかむしろ厳しい法的禁止と制裁が不要なままに国家的統治が全国民に浸透するという不思議な現象が生じてきた(コロナ禍は改めてこれを実証した)。これについてはより厳密な考察が必要だが、とりあえず日本における権力統治の構造が、欧米諸国のそれに比べてかなり独自であることは間違いなく、その背景に、この米国と天皇制の権力ブロックが存在しているのである。

そして、興味深いことは、この権力ブロックのヘゲモニーは、”思想、Habitusとしての日本国憲法”と、相即不離の関係にあったということである。日本国憲法の第1条は象徴天皇制を定め、平和主義を謳う憲法9条と世界最大の暴力装置である米軍が共存し、日本国憲法第13条の「生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利」の文言は、アメリカ独立宣言に由来している。

今我々が経験しつつあるのは、こうした前代未聞の高度に複雑で、欧米由来の政治学の枠組みでは把握しきれない戦後日本の体制の”グレートリセット”である。変わろうとしているものが何であるのかが分からずして、どのように変わってゆくのかが解ろうはずもない。近年における言論界の混迷、影響力の低下は、欧米由来の概念枠組みに依拠するリベラル系の学者・文化人が主導してきた戦後の言論空間のHabitusの融解に伴う必然的な流れである。

戦後における米国vs天皇制の関係性の根本的変化、これを見ずして目下内外で起こっていることの理解は難しい。安倍元首相と清和会の躓き(それは同時に戦後リベラルの躓き)は、この変化を見誤ったことによるものと言ってよい。

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