友だちってまじでさ


友人はいればいるだけ助かる、って自覚した話です。


いやだってさ、この年齢にもなると、生活の基盤をどこに置くかという意識の違いが明確になっているからなんですよ。わかりやすく話すとすれば、己の優先順位をどこにするかってこと。大きくわけると他者か、推しか、自己か、の3つだと思う。


何を選んでもいい。わたしが介入する余地のない、わたしが仮にちょっと待った〜!と発言したところでどうしようもないことなんてわかりきっているような関係性でしか周囲とは成り立ってないのだから。だから、わたしが大手を振って応援できるかどうかという基準でしかないのよ、悲しいことにね。実際に、高校の同級生の選んだ結婚の道筋は、おめでとうの一言にすぎる。でも、1.2年ほど前に知り合った夫婦に関しては、えっそれでよかったの?という疑問しか浮かばない。


という例を出すと、他者に関してはわたしは自分の思考を持つことしかできないし、推しに対してもそうだ。決めた道を受け入れることでしか成り立たない。自己、つまりわたし自身のことにしかわたしの意思は反映されない。しかし、めちゃいいね!と応援したくなったり、反対してやめとけ!と伝えてしまいたくなってしまう。それはわたしのエゴでしかないんだね。でもだからこそ、伝えられる人には応援も反対も話していきたい。へ〜そうなんだ!しか会話にならない相手って、果たして友人と言えるのだろうか。わたしはちがうと思うからこそ、わたしの考えを伝えられる相手に対してしか、友人という関係性を築けているとは思わない。こんなまどろっこしい思考だから、特定の友人しかいないのだけど、広く友人をもてるキャパシティもないから、今は満足しているのかもしれない。


久しぶりに日記を書いといて、愚痴かよって感じだよね。酔っ払ってるから文章もぐちゃぐちゃだし。ストレートに書くとすれば、あんまなめんなよって話に尽きる。こんなわたしにだって思考を面白いと思って大切にしてくれてる人たちがいるし、それに対しては絶対の自信があり、わたしも反対に面白い考えだなとかなんか
よくわかんないけどもこの子すきだなっていう気持ちをもって人間関係を成立させている。だから、わたしはわたしの友人を大切にしたい気持ちと同等に、わたし自身をおざなりに扱う他者とは関わりたくない。だってわたしめちゃくちゃ大切にされてるんだもの!恋人とかだったら利害関係やらなんやら、愛情とかもあるのかな?恋愛長いことしてないし結果大事にされたことないから知らんけど...そういった関係ではなく、純粋な友人という関係だからこそ、なんの見返りもなく大切にしたいんだよね。そうやって大事にしてくれてる、してる、という関係性があるからこそ、じぶんを大事にしていこう、と身の引き締まる1日だったな、というお話しでした。酔ってるからよくわからん。でも、そういうことでした。



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