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さんぽ絵日記 材木座の宵宮

材木座の五所神社ごしょじんじゃの祭りは神輿が海に入ることで知られ、「乱材祭みざいまつり」と呼ばれている。かつての地名、乱橋村みだればしむらと、材木座村ざいもくざむらの頭文字を取ったのだという。滑川を挟んだ対岸の由比ヶ浜の祭りが鎌倉の夏祭りシーズンの到来を告げると、その次の週が乱材祭みざいまつりの日程となる。

私も何度かこの祭りの海上渡御かいじょうとぎょを見に行ったことがあるけれど、ふんどし一丁の男たちに担がれた神輿が浜を一直線に海へと進んで、そのまま波の中にざぶざぶと入っていく様はただ見ているだけでもなかなか面白くて、実際に担いだらさぞかし楽しいだろうな、と思う。

前日の宵宮よみやは、地元の人たちの屋台が多く出て、アットホームな感じなのが好きだ。屋台の出る場所は、材木座の海への出入り口にあって、そこの海へとつながる雰囲気もなかなかよい。

由比ヶ浜と違い、我が家にも近い材木座では、歩き始めるとたくさんの顔見知りと行き交う。ほろ酔いでお祭り気分を楽しむ人たちと陽気にあいさつを交わし祭り提灯で賑わう町を楽しむ。屋台の並ぶ付近の角には、古そうな山車が停められていて、すでにお囃子の音が祭りを盛り上げている。息子も友だちと一緒に会場のどこかにいるはずだけれど、人が多すぎて見つけられない。

今年はいつもより早めの時間に訪れることができたからか、海の一角から五所神社の方へ向かって歩いていくと、遠くからお囃子の山車が近づいてくるのが見えたので、神輿を待つことにした。

場所は九品寺の前の交差点あたり。夕暮れ時だけれどまだ比較的明るい時間。先頭にはトラックに乗った山車がいて、山車の屋根の上には絵が描かれた灯篭のようなものが乗っている。

その後ろから「五所和賀」と書かれた提灯をたくさんつけた神輿が男たちに担がれてくる。神輿の先頭両側には綱が付けられていて、これで舵取りをするようだ。「どっこいどっこい、どっこいそーりゃ!」どっこいという掛け声で担がれる神輿は鎌倉に多い。

続いて「唄」と背中に染め抜かれたえんじ色の半纏を着た一団。これは天王唄てんのううたを歌う人たちで、年季の入った方々が多く、数人は拡声器を持ちながら唄っている。天王唄は材木を引き上げる木遣り唄がもとになっているといい、このあたりの神輿は天王唄にあわせて担がれるところがいくつかある。よく見ると後ろの神輿は天王唄に先導されていた。

先ほどのどっこいとは異なり、ゆるやかな天王唄の調べに乗せて、ゆるりと担がれてきた神輿を担ぐ一団は、華やかな花柄などのかわいい女物の着物のようなハッピを打ちかけて、よく見れば鼻の頭にひと筆白い化粧をしているおじさんたち。

思わず笑顔になって担いでいる人に尋ねてみると、やはりこれは女神輿で、男の人は化粧と衣装を着ないと担げないことになっているんだとか。なんだか仮装行列のようでもあり、面白い。確かにこのかわいい半纏を来ているのは男の人だけで、神輿を担いでいる女の人は普通の格好をしていた。今まで材木座の神輿にこんなのがあるとは知らなかったなー

そういえば先ほどから鼻の頭を白くした、赤いおべべのおじさんたちをちらちら見かけていたのだけれど、そういうことだったのね。宵宮ならではの余興のような神輿、なかなか面白い。

もともと5カ所の神社が合祀された五所神社の神輿は3基あって、明日の本祭で海に入るのはそのうち2基。もう1基は、担ぎ手の衣装もほかとは違い、白装束に烏帽子をかぶった人たちが天王唄にあわせてしずしずと担ぐ。今日の宵宮では、2基の神輿だけが担がれている様子だったけれど、なぜそのうち1基を女装して担ぐのかはよくわからなかった。

男女平等が叫ばれる現代でも、祭りの世界ではまだまだ伝統に裏打ちされた男尊女卑にも思える風習が残っていることも少なくはない。そのこと自体、私自身は否定する気持ちはないけれど、女性であるからにはもやもやした思いを感じることもある。でも、こんな風に、男性が女装してみんなで女として神輿を担ぐ日があるというのは、そんなもやもやを打ち消してくれる可笑しさがあってよいな、と思った。

このあと神輿は休憩所で小休止。日が暮れた頃になると、屋台も並ぶ海に近い一角で神輿が練り歩く宵宮の見せ場になるはず。でも数年前に見た光景を思い浮かべて、今日は帰ることにする。

海へ向かう道の両側は子供フェスティバルの屋台で大賑わい。焼きそば、いちご飴、射的、小さな子もたくさんいて、みんな楽しそう。そこから浜へ出ると、海岸では海の家が建築中で、ちょうど床の部分だけできたところがウッドデッキのようになっていた。一応ロープなどが張ってあるものの、みんなここで夕日が沈む海を見ながら出店で買ったものを食べたり、知り合いと話したり、子どもたちは側転したり踊ったりして思い思いにくつろいでいる。

ウキウキした雰囲気。遠くから聞こえるお囃子。波の音。夕焼けの茜空。これから祭りが始まる高揚感。祭りの後はいつも寂しい気分になるものだけれど、これから祭りが始まる宵宮は多分、祭りのどの見せ場よりももっと、みんながこれからのことを思い、楽しさだけを感じられる最高の一瞬なんだと思った。

それは新型コロナのパンデミックを経験して、この国の先行きもなんだか心配な今だからこその、よりいっそう輝ける夕暮れの一瞬だ。この一瞬が、あの頃はよかったと思い出す記憶の中の一瞬にならずに、毎年当たり前に訪れる日であることをただ強く願う。それが祭りが続けられてきた意味なんだよな、と思いながら。

材木座 五所神社の宵宮



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