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平凡な街の鬱陶しい出来事⑦かまってちゃん考

かまってちゃんは何処にでもいる。
誰の中にも誰かに何かを伝えたくなる気持ちはあると思うが、また同時に誰かを、相手を知りたいと思う気持ちも持ったりする。
そしてその二つが上手くパイプで繋がった時、きっと心地よく感じる人が多いと思う。
時には、相手が余り関心を向けてくれなかったりする場合もある。
他人に干渉して欲しくない人も勿論いる。
そうだからといって、別に冷たい考えばかりでは無かったりする。
沢山の価値観が有る中で、人はそれぞれ出会う。
その中にかまってちゃんもいる。
バランスの悪い考えと行動が周囲を困惑させる。

何が彼らの微調整の妨げになっているのだろう。
Kさんの同僚達が黙ってやり過ごそうとしていて、それで面倒な所から抜けられない時間が長引いたようなものもある。


これは知人のKさん達に面倒が次々降り掛かる少し前の話だ。

ある日私は郵便局で用事を済ませ出入り口の扉の前にいた。
すると40代後半くらいの女性がスクーターに乗ってこちらへ向かって来るのが見えた。
私はドアから外へ踏み出して立ち止まっていたのだが、そのスクーターは私の足元を目指す様に止まった。要するに生身の私にスクーターで幅寄せをしたのだ。

私は少し避けながら自分の足元を見た。踏まれはしなかったが郵便局の前には何も無く、幅寄せしてまで停める必要など無かった状態なのである。
と云うか、これは違反キップものであるが。
私は当たり前だがムッとしていた。しかし、無表情でいた。わざとそうした。
それはなぜか、それはその女性が私の顔色を見ているのが直ぐに分かったからだ。
怒りの表情を期待して私の顔を覗き込んで見ているのが分かった。

私は目を合わさずにさほど気に留めない様子でその場でスマートフォンを取り出した。
本当は特に用事も無いが、画面を見たまま操作しながらゆっくり歩き出した。背後でスクーターの女性が私の立ち去る姿を見つめている。
郵便局に用事があって来た筈のその人は建物にも入らずにじっとしていた。
ある程度離れると女性の顔の表情が視野に入ってきた。
普通に暮らしているなかで、見知らぬ人にされる事はないだろうといった悲しそうな視線が、ずっとこちらを見ていた。

そうなのだ、私は彼女の私に対する影響を認めなかった。私の世界には彼女はいない。

私はどうしたらあんな馬鹿げた方法で自分を確かめようと思うのか?とその時には思った。
恐らく彼女は家に戻り、自己嫌悪を感じるに違いなかった。

後で分かったのは、たとえ相手が腹を
立てても気付いてもらえ、怒りだとしても言葉を自分に向けさせると云うのが目的だと云う事だ。
私はそれをどちらもしなかった。
彼女はつまり、「不漁」で終わってしまったのだった。

かまってちゃんは何処にでもいる。
もしもあなたが誰かの事を怒らせたいと思った時があったとしよう。
あの人が嫌な思いをすればいいなと思ったとしよう。
なぜ嫌な思いをするといいと思うのか、それはあの人が悪い人だからだ、と思うとしよう。
鏡を見た時、鏡の中の自分はどんな顔をしているだろうか?



  まだ多分、少し続きます( ´-`)




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