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人には人の留学がありまして!


ここでいきなり、私の留学の本当の動機を告白しよう。

それは「とりあえず一旦日本から逃げたい」というものだ。
なんだ、ずいぶんネガティブだなあ、そう思ったことだろう。

留学については、中学生くらいから漠然と海外に憧れみたいなものがあり、ずっといつかはしてみたいと思っていたし、英語と中国語を話せるようになりたいという目標を持っていた。

しかしコロナ禍において、私は憂鬱で隙があらば浮かんでくるようなもやもやとした自意識に悩まされた。
それを対処しようとしても、毎日こなさなければいけない課題とバイトでじっと向き合うこともできない。
ならば、いっそ留学をこいつと向き合う時間に当ててしまえばいい、そう思った。

だから、正直中国語のモチベーションも半ば消えていたし、私の留学の意義はほとんど「考える時間」を作るためであった。
一応断っておくが、この私が抱えていたもやもやは言語化できるようなものでもなく、かなり感覚的なもので、どういう手段でこの霧を晴らすかは全く未定であり、知る由もなかった。
ただ、常に頭の中にあった「しなければいけない」という意識から少しでも離れて、一日中風に揺れる木々を見続けられるような日々を過ごしたいと願った。


しかし、留学に来てからは、そんな思いの火が消えてしまうような瞬間もあった。
それは巷にまかり通っている、「留学の成功」という言説によって。
留学生ならば、引きこもってはいけない、日本人とつるんではいけない、自分の意見を主張しなければいけない。

それは私を偽り続けることと等しかった。
逃げてきた異国の地においてでさえ、また「しなければいけない」に悩ませられ続けないといけないのか。

今までに短期留学と海外ボランティアを経験している私にとって、「留学の成功」を期待することはそもそもがトラウマだった。

高校生の時、台湾での2週間のボランティアに行った時は「大人しい日本人」にならないために努めたが、ある男の子から「僕たちはしゃべらず、ただ目を見つめて笑い合うだけだった」と書いてある手紙をもらったおかげで、嫌な思い出になった。


日本よりも、台湾では時間の流れがゆっくりと流れることで、四六時中こんな風な過去の憂鬱と構う必要があった。
正直辛くて、湿気の多い台湾というこの土地の性質にまで私の呪いが飛び火してしまった日々もある。

別に特別なことをしたわけでもないけれど、図書館で赴くままに本を読んだり、じっと考えたりするうちに、本や授業たちがまるで私の考えていることに応答してくれているように感じ始めた。
そしていよいよ、偶然手に取った本と哲学者のスピーチが直接的なきっかけとなって私はあるブレない光を見つけることができた。


憂鬱なニヒリストが真理を見つけた瞬間。

それは例えば、昨日道に生えていた小汚く萎れた草が、今日は可愛らしく見える、という変化を私にもたらした。


まだ留学は半分ちょっと残ってるけど、私なりの留学の成功は思いもよらず大かた達成できたような気がする。
とにかく私は今回の留学をどうにかして正当化したいし、それが私みたいに何かから逃げて自分と向き合いたいと思う人を正当化することに繋がったらいいなと思う。
私にとって留学とは、自分以外の環境が変わるからこそ、自分の輪郭が浮き上がってくるし、自分が今まで置かれていた環境を考えるきっかけになるものだと思う。


経済的なこともあるけど、留学というものがもっと気楽な選択肢になればいいと考えているし、「私が留学なんて、そんな」と思わないでほしい。
こう思ってしまうということこそ、留学というものが何か不自由な定義で固められている証拠じゃないだろうか。
別に海外に興味がなかったら、どこかの山奥で隠者にでもなるのもいいし。
でもやっぱり、自分が生まれて親しんできた土地から長らく離れてみると効果が上がるような気もする。
なぜなら、異国で自分を考えることは自分を形作ってきたもの、それは社会、国を考えることと繋がっているから。


じゃあ私はこれから社会の中でどう振舞っていけばいいのか?

これが、私が今考えていることだ。


こうやって、自分に対して向き合うといったいわば内なる狭い空間から、今度はひらけた大通りに出たら、実は私の周りには同じような過程を経て同じ大通りの道にたどり着いている人がいることにも気づいた。

だから、今はとりあえず彼らと乾杯して、労い合うことの喜びを味わっている。



あ、そうだ。
私にとって留学がもたらしたものは、他にもある。

それは、かつて台湾で男の子がくれた手紙を、「もしかしたらあれは高度な恋文だったのかもしれない」と思うかなり傲慢な自由と、そして余裕だ。









今回も読んでくれてありがとうございます。






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