まとめられない読書感想
雑多な読書感想文になってしまいました。後日あらためて整理推敲してまとめますから・・・今回は自分の防備録として
「公(おおやけ)」を読んだ
猪瀬直樹の最新作「公(おおやけ)」を読んだ。
一読すると何だかいくつかの記事の集合本?に思えたのだが、再読してみるとそうではない。この本に通底しているものが、なぜ私に分かるかというと、はっきりと「はじめに」で猪瀬が書いているからなんだけど(笑)。
「はじめに」を読んでから本編を再読してみた。
まずⅠ部とⅢ部で連関させながら書かれていること。
猪瀬直樹は、歴史の大きな変化点にあるコロナ禍の下で、昨年度末に実施された学校の全国一斉休校などの施策を、どう政府が意思決定してきたのか、それは一体誰が草案し、どこで議論され誰が認可し政策となったのかを「公文書管理」という側面から検証する。
するとそこには、結局何もない。つまり誰がどう決定したのかうやむやにされてしまっている事を指摘する。その実は日本が犯した過去の誤ちをそのまま蒸し返しているに過ぎない事を発見するのだ。
では近代日本がいくつもの局面に際して、どう意思決定してきたのか、特に近似している変化点として、太平洋戦争の開戦がどう意思決定されたのかを彼の書いた傑作中の傑作「昭和16年夏の敗戦」の骨子を説明しながら再検証するのだ。
また肥大化し強大な権力を握った官僚機構、行政機構が、善しにつけ悪しきにつけ「日本型政治と政策」に関わってきたのかを暴き出している。猪瀬直樹が他の学者とは違うここが一番の強みで、小泉政権の民営化委員、石原都政での副知事、そして東京都知事。自らが行政内部内部に深く携わってきたという、単に作家的見地だけで終始させていないものが、読んでいる私を唸らせて余りある。
ちょっと不思議なのはⅡ部。近代日本で作家が誕生してのち、彼らが「公、おおやけ」という概念と向き合わず「私」に固執していたことを浮き彫りにしていく。「公」という漠然模糊としたその概念は、社会に作家(学者、研究者)が社会全体を駆動させるクリエイトさせるものであるのに、この国の近代から現代に至るまで明確な位置を持たされていないという事を我々に問うているのだ。(ちょっとちがうかな?)
また彼自身の官僚達に対峙した活動遍歴を辿りながら、自身のアイデンティティ「疑問と興味」を常に持つ事の必要性も記事の奥に通底させている気がするのだ。
再読した程度では私には上手に表現できないけれど、猪瀬直樹はこの国を動かしているのは「空気」だと指摘しているのではないだろうか。巨大な官僚や行政組織による「政治」を失った意思決定は、曖昧模糊とした、出所も不明で過程も文書管理も不明のままの、「なんとなくの空気」が動かしていると言う事を。違うかな。ちょっと違うなあ!
読後、僕はtwitterでこう呟いた。
「山本七平」ではなく、猪瀬直樹先生の考える『空気の研究』を執筆されたらいかがだろうか。『昭和16年夏の敗戦』を読み、『公』を読むとそんなこと思う。
猪瀬先生本人にリツイートしていただき感謝なのだけど、その前に「昭和16年夏の敗戦」はその新刷版がノンフィクションのベストセラーになっているようで、誠に喜ばしい。石破茂もお気に入りの本のようだ。
書かれた「総力戦研究所」の内容も驚嘆することしきりだが、ネットのない時代に、まあ、あそこまで詳細に調査しましたなあ、など唸りながら読んで、読後に、猪瀬直樹の広い知見に震え上がり、並の作家、研究者ではない事が瞭然としてきたのである。
天下の美人芸術家、蜷川有紀も惚れる訳だ。
どの章も面白かった。二宮金次郎ファンドの話。私のような庶民としては興味のある例の都知事辞任のいきさつ、それは単なる収支報告書の記載漏れ程度のものが、伏魔殿たる都議会に潰されたというのが事実なんだけど(ちょっと足元が甘かったですね)、また「昭和16年夏の敗戦」の要旨と言うべき「日米開戦の意思決定」も興味深く読ませて貰った。正に「戦争しなきゃという、そんな空気」が時代を動かしていたのだ。
プラットフォームとしての「投稿雑誌」とnote
中でも特に「クリエイターとしての作家の誕生」の章が興味を持って読めた。明治になって作家や小説が誕生したいきさつをまとめたものだが、これもよく調べたなと驚くのだが・・・ざっくりまとめると・・・
日本が江戸から明治になって、つまりカントリーからネイションに変革していく過程で「社会」という「人間交際」の空間が現れる。するとそこに「投稿雑誌」というネットワークという装置が誕生する。そこで人気を得て売文家が育成されて作家となり、日本独自の「私小説」という世界が構成されて言ったというのだ。当時の出版社はネットワークとしての投稿型雑誌を作り世に広め、ビジネスとして確立したと言う事。
謂わばサービスの利用者と提供者をつなぐ、このnoteのようなプラットフォームが、明治時代にすでにできあがったいた、そこから有名な作家が輩出されていったという事実がある、と言う事。
猪瀬は文中でボソッと呟いているが、そもそも作家とはという定義では・・・
「作家」と言う職業はもともと新しい空間の成立に適応する形で生まれ、また空間の変容とともに進化するクリエイターだからである。
「新しい空間」とは明治時代の投稿型の雑誌であり、現代のこのnoteなのであろう。
(「投稿雑誌」は私も若い頃良く読んだ。ネットのないあの頃、自慢の彼女や奥さんのあられもない姿を写真に写してフィルムを投稿すると・・・うわ、すげえやぁ、となる・・・あ、それとは全然違うから。明治時代だから。)
ピカレスク
私は、作家としての猪瀬直樹の作品は「昭和16年夏の敗戦」の前に「ピカレスク」を読んでいる。特に太宰治の弟子を自認自称しているくらいの私だから「ピカレスク(太宰治伝)」を何回か読み、感銘してぶるぶる震え、そうして本は常に机の上に置九ことにした。座右の書ってやつね。
猪瀬は「ピカレスク」に太宰治「伝」と副題をつけたけれど、むしろ「太宰治研究」と題した方が合っているのではないかと私は思う。確かに伝記の体裁をとってはいるけれど、太宰治と言う作家が自己の誇張と自己否定を同時に表現させている独特の文体と、特に晩年に於いて顕著な没個人的な家庭生活を否定する世界観に至った経過といったものを、猪瀬は、太宰とふれあった者たちへの詳細な分析に依って表現している。私はこの「ピカレスク」にはいたく感動した。正に太宰治研究そのものである。
あ、今回はこれまでで。
ノンフィクション作家、学者、だけでなく政治家、元東京都都知事という異色の肩書きをもった、現代日本の希有の存在、猪瀬直樹。実はまだ3冊しか読んでいない。読み進めてのちいずれまた批評を書いてみたい。