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われ山に向かいて目を挙ぐ 11

11、太宰治の遺書を読む

太宰治「葉桜と魔笛」を読んだ。はじめて、読んだ。お伽草子読んでいる隙間に読んだ。noteで「桜桃忌」と検索し、出てきた記事を眺めていて、M子なる意味深な名前の女性が書いた記事を見つけたのがきっかけ。
余命短い妹と、彼女を必死に看護する姉と、そして冷淡で厳格な父が鳴らしたらしき口笛。そんな三人の切なく悲しい物語。ちょっと竜頭蛇尾な印象でもう少し文末を膨らませた方が良かったし、物欲云々は要らない気もしたが、でも全体としてはなかなかの秀作だった、と稀代の大作家相手に偉そうに諫言批評してみたが、全国の太宰ファンに睥睨(へいげい)されそう。

さて私は、太宰が佐藤春夫に宛てた書簡を読もうとして、図書館で借りた「佐藤春夫読本」のついでに、平凡社別冊太陽「太宰治、生誕100周年」という雑誌を一緒に図書館から借りてきた。
この本は太宰の生涯をまとめたもので、作品にだけ興味があった以前の私ならそれほど興味もなかったのだが、今こうして開いてみるとなかなか面白い。だが図書館の本である。2週間で返さなくてはならない。だけれど私はなんだか返したくない。できればこの本を所有したい。そう思った。
そうだ、アマゾンで同じ本を買えば良いのだ。

こうして今は同じ本の初版第一刷が手元にある。
この本の特徴は太宰の足跡を多数の写真で紹介しながらも、いくつかの作品の有名な一節を寂しげな風景写真に重ねて刷り込んであるところ。その中で私が驚き、震えたのは、妻の美知子に宛てた遺書の一部が載っていた事だった。この一文も私は初めて目に通した。

美知様  お前を  誰よりも  愛して  いま した
子供は皆、あまり 出来ないようですけど 陽気に育ててやってください たのみます ずいぶんお世話になりました 小説を書くのが いやになったから死ぬのです いつもお前たちの事を考へ そうしてメソメソ泣きます

若い頃、先妻Yを死なせてしまった私は、この手の文章に、すこぶる弱い。読んでいる先から、手先が震え目が霞んでくる。
こうして読みながらも、いつものように、私は自分を移入し始めて、ああそうだ、あのとき先妻Yがどうして遺書を残していってくれなかったのかな、などと考えはじめる。そうして、私なら「美知」を誰に入れ替えようか妄想を進ませてみると、それは先妻でもなく、今の妻でもなく、きっと娘の名前「A」と書くのだろう。画家の男と結婚して、今は都会で幸せに暮らしている娘。先妻Yの面影をそのまま引き継いだ娘の顔立ちと姿。勿論娘には言わないけれど、私は娘を見る時、その向こうに必ずYを投影させる。
ただ、昔も今も不実な私なので、妻Yがどうも心の病気らしいと分かっていながら放っておき、生活の全てに悲観しうつろな目をこちらに向けている妻に、寧ろ鬱陶しささえ感じて視線をそらし続け、病院にも連れて行かなかったのだから、そもそも死ぬ前に言葉を遺してくれなどは、余りに図々しく恥知らずの大バカ野郎なのである。そうして、そんな私は、どうしようもなく卑劣で愚鈍で女々しい、うじうじとしたヤツなので、こんな老醜に成り果ててた今でも、YとAをダブらせては、だらだらと言葉に置き換えて安心しているのだ。

早暁の時分、私は一人ボソボソと自問を始める。先妻が死んで無限の寂しさを受けたあと、これから以後に起こる全ての出来事は無感覚だ、と思ったはずなのに、飲み込んだ筈の寂しさを、牛の反芻の如く戻しては、私はまた寂しくなり不安になる。寂しくて寂しくて、たまらなくなる。
それは私がいつも一人だからなのだろうか。不安になりメソメソしだすと、どうして私は、言葉を発したり、なにかしら呟きたくなるのだろう、眠れなかったあとの朝は特に。

読み終えた「お伽草子」の「舌切り雀」には、こう書かれていた。
「真価が発揮できる時期がくるまで、沈黙して読書だ」と言うおじいさんに向かって、雀のお照(おてる)さんが叱咤するのだが、

「意気地無しの陰弁慶に限って、よくそんな負け惜しみの気焔を挙げるものだわ。敗残のご隠居、とでも言うのかしら。あなたのようなよぼよぼのご老体は、帰らぬ昔の夢を未来の希望と置き換えて、そうしてご自身を慰めているんだわ。お気の毒みたいな物よ。そんなのは気焔にさえなってやしない。変態の愚痴よ。だってあなたは何もいいことをしてやしないんだもの」

既におじいさんに自分を重ね合わせている私だから、この一文は余りに厳しい。しかも「変態の愚痴よ」って・・・
ここで、ハッと目が覚め本から顔を上げ、思わず赤面し、そしてうつむく、私。
そう!グチってないで、なにか、いいことを、しよう。