人の役に立たない事が好きです2

そんな私なので、読む本も雑多、ただこの記事を読んでいる優秀な諸氏のような、雑誌プレジデントとかトーマスピケティとかライフシフトなど「ためになる本」はまったく読みません。
最近読んだ本は、
1、太宰治「八十八夜」
2、小島襄「太平洋戦争(下)」
3、大岡昇平「長い旅」
4、歴史読本「太平洋戦争1347日の激闘」
以前より戦争後連合国によって裁かれた所謂「BC級戦犯」をめぐる著作に興味があり、何冊か読んできた流れで2,3,4と読みました。
で、皆さん、私は読後早速、考え始めるのです。太平洋戦争最大の愚行といわれたインパール作戦では、牟田口司令官がその責のすべてを背負わなくてはならないのか、佐藤中将の命令違反の退却は?チャンドラボーズのインド義勇軍はどうした?柳田師団長の牛歩は?宮崎少将あっぱれだけどミスはなかったのか、もう一つの失敗である、レイテ沖海戦はどうだ?栗田長官はなぜ目前の敵を攻撃せず遠方の敵をさがすという過ちを犯したのだ、司令官の戦略ミスによって日本の兵隊さんは何万人死んでしまったのだ。ああ、ぐちゃぐちゃになってきた。オレの頭の中は一体どうなっているんだ、どうでもいいことで頭と胸の中が一杯になり苦しくなってきたじゃないか。つらいのだ、息が苦しいのだ、逃げてしまいたいのだ。
そうして私はふと近くにあったワイド版岩波文庫「太宰治、富嶽百景他」を手に取る。パラパラとめくって目についたのが「八十八夜」なのである。その時の私の行為は、どうでもいいことに拘泥して、苦しくて切なくて七転八倒して、ふと手に触れた太宰治、と言ったところでしょうか。藁をもすがるといった心境。それは、大げさでしょうか。笑止なことでしょうか。
太宰治と梶井基次郎を私淑していると公言しつつもすべての作品を読んでいるわけじゃあないよ。読んでいない、もしくは若い頃読んだけど忘れちゃった、そんな作品も多々あるんですが、この八十八夜はそのうちの一つ。こうして改めて読み返すととても新鮮。なんだろう、「八十八夜」は所謂、太宰治「節(ぶし)」とでも言いたくなるような独特の文体を以て書かれた作品なのです。
「笠井一さんは、作家である。」
から始まって、
「けれども、ちっとも、ゆたかにならない。くるしい。もがきあがいて、そのうちに、呆けてしまった。いまは、何も、分からない・・・」
と句読点を頻繁に使用して言葉を絶えず切り取りながら話し始める。ああ、こんな文体も何だかステキだ。私はため息をつく。先ほどの牟田口司令官は一体どこへ行っちゃったんだ。宮崎繁三郎少将の男気に感動してしまったオレはどこへ行ったんだ、いまはもう太宰の毒にやられて頭がふらふらとなり、そうしてオレは階下の台所へおりて行き、冷蔵庫から酎ハイを出し飲み始める有様。
部屋に戻って「八十八夜」を読み続けると、信州上諏訪温泉に行くという主題なのだが、あれ?これ旅行記なの、旅館の中居にいたずらした話なの、虚栄と虚勢と欺瞞とそうして太宰独特の自己満足を本旨とした、自身の独白なの?何だかよくわらかないままぐいぐいと引き込まれていく。とにかく面白いのだ。
この作品はどちらかというと平易な文体で書かれてはいるが、(この記事を読んでいる)皆は、下に引用する、この一節を読まれよ!季節を表した一節なのだろうけど、まあ、なんとも素晴らしいではないか。
私はこうして、どうでもいいことに気を揉み悩まされるこの性格に禍いされて頭の中が一杯、そうして太宰先生や梶井先生の文章に触れて、ほっと安堵する。

汽車 に 乗る。 野 も、 畑 も、 緑 の 色 が、 うれ きっ た バナナ の よう な 酸い 匂い さえ 感ぜ られ、 いち めん に 春 が 爛熟 し て い て、 きたならしく、 青み どろ、 どろどろ 溶け て 氾濫 し て い た。 いったい に、 この 季節 には、 べとべと、 噎せる ほどの 体臭 が ある。

今回のこの記事、ちょっと大げさかな、ふざけている気は毛頭ないのだけれどね。
では次回へとすぐに続くから、若者は勉強などして、しばし待たれよ。