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叩かれた記憶

前の話で恐縮だが、正月二日の午後。私と長女、長男はテレビを見ていた。そこでは、完全なる放任主義の両親に育てられた、とある一人の男の人生を、ジョークを交え面白おかしく再現して放送していた。その男、まるで躾がなかったからなのか、あれよという間に簡単にヤンキーになってしまって、それでもスーパーマーケットに仕事を得、そこて職場の先輩達を師として人生と社会のルールを学んだと言う、いわばスーパーが師匠だった的ストーリー。

終わった後、私は長女長男の二人に話しかけた。
「まあ、自分の子供とは言え叩いちゃあいけないけど、甘やかして育てちゃあいけないと思うよ」今の時代、親とえども手を挙げてはいけないよねという一般的なコメントを発したつもりだった。
長女「あたしは親に叩かれたなんて記憶、ぜんぜんないなあ」
ややあって、息子は小さな声で、
「オレは、、、ある、、、叩かれてた」
長女も、あっと思ったのか、黙してしまった。

長男がこの言葉を発した途端、私はウッと胸が詰まり、息を飲み話題から遠ざかろうと下を向いてしまった。長男はこの空気に気付かなかったのか、とぼけてくれたのか、再びテレビの画面に戻ってくれたのだが、息子が住地の東京へ帰るまで正月の間ずっと、きちんと謝ろう、親子は関係ない、言葉にすべきなのだ、いいや、謝ってはいけない、子育てにミスのない親なんていないし、そもそもこんな「寄せ集まった」特殊な家庭なのだから、それに現にこうして息子は正月やお盆には必ず帰ってきて、楽しく過ごしているじゃあないか。いや、叩いたことは、それ自体は、親も子もない、謝った方がいいんだ、息子の心に刻まれている傷を放置してはいけない、などそんな葛藤をとつおいつ、ずっと自分に問うていたのだ。私はずっと煩悶していた。
だから正月を終えた息子が東京へ帰ったとき、息子に一言も発せられなかったという大きな寂しさを感じた。だが一方で自問への結論を先送りできた事に安堵するいやらしい自分も確かにあった。

何回か書いているが、長女は今の妻の連れ子だ。次女と長男は私の連れ子である。2人の子供を連れて私はこの家に養子として入って、私と長女、妻と次女長男はそれぞれ養子縁組みをして、やっと家族になったという、そんな家庭なのだ。そんな中で私と妻は三人の子を必死に育て上げたのだが、その過程での一つ一つときたら、決して養育とか躾とかの綺麗事ではなく、私という(立場の弱い)父親の気持ちを汲み取ってくれない、子供の勝手な行動にただただ腹を立てていただけだったのだなどと自分を卑下してみる。そして戻ってはこない過去に震え、それら養育の失敗を、さっさと死んだ先妻に責任転嫁し、こうして愚痴をこぼすばかりだ。勝手なのは子供ではなくて、まさにここにいる私という気の小さな父親だったのだ。

さて、そんな息子なのだが、この正月のあいだ、二人の姉たちからは、彼の名前ではなく、「プライム会員君」と呼ばれ重宝がられていた。息子からすると甥っ子、私からすれば次女の息子、つまり孫の、三歳半の男の子は、実は今が一番聞き分けない年齢なのだろう。その孫が騒いでやかましいときなどアマゾンビデオを見せて黙らせてくれていた。このプライム会員のおじちゃんは、孫が厭きるまで、仮面ライダーなんとかを見せてくれるので、孫はすっかりなついてしまっていて、息子の胡座の中から動かない。最後はおじちゃん(息子)とお風呂へ一緒に入ると言ってきかなかったほどだ。

その夜、私は居間のソファーにうずくまって、甥っ子と風呂ではしゃぐ息子の声を聞きながら、小さな声ですまないとそっと謝まるしかできないでいた。
正月も過ぎ、いま私は思う。そんなプライム会員君の、心優しい息子は、何年か後におそらくは父親となって、すると生活の上に育児があり理屈通りにはいかぬことを知り、それとともに悲しい記憶も薄まって行き、多少でも傷が癒えて、私を許してくれるのだろうか。
そもそも、と自分に再度問いかけてみる。子供を育てたあげたと言う自負、自信とは一体何なのだろうか、大きくなったわが子の前で胸を張ることができる親はいるのだろうか。正しい育児、正しい養育、正しい教育に正しい躾け。私には分からない。私は死んだ先妻が残していった二人の子供と今の妻が連れてきた子供を、確かに一生懸命育てたつもりだ、「頑張った」のだけれど、でも決してそれは「正しい育て方」をしてはいなかった。子供を育てながらも、私はいつもびくびくと、臆病に卑屈になっていたのだ。

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我が子を虐待死させた父親のニュースが流れている。決して許されない悪魔の所業だと、私も思う。でも一方で、テレビの液晶の中にいる鬼父を指さして「やだなあ、最低だ、まったく信じられない、人間じゃねえな。母親は?近所は?先生は?そして児童相談所は?何しているんだ、まったく」など徹底的に痛罵することで、おれは多少感情的になって子供と接したかもしれないけれど、この鬼父のしていた悪行とは丸で違うのだと自分に言い聞かせている、そんな自分がいることを感じる。
そのうちに何だか胸が苦しくなってくる。
、、、、、、、、
、、、、、、、、やめておこう。そうして長男に謝ろう。
私のできる事は、それしかない。