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靖国神社の奥に問いたい

そもそもnote記事の殆どは、家の机上ではなく近くのマクドナルドで、夜の9時も過ぎてお客がほとんどいなくなった時間帯を狙って出かけていき、こっそりと書いたものだ。コソ書きってやつね!しかも店の奥隅、トイレの手前、多少おいにーの漂う角(かど)席。ヘッドホンして鼻歌している変なおじさんいつもいるしー、なんだかキモイー、と女子店員には訝しげに(いぶかし)見られている(のかもしれない)。なのでこの陰気な環境からは高尚な文章など生まれる訳もなく、前回の記事のような、極めてお下品な、謂わば生活の恥部をさらけ出し、なんとか読者の気を引こう、笑って貰おうと煩悶している。苦しいのだ。それでも心のどこかに、これではいけない、一文でいいから読者を唸らせる、誇れるような、、、いや、やめとく。背伸びはいけない。身の丈を知る、だ。
 
さて、季節のご挨拶というか枕詞はそれくらいにして、実は私は来週、二回目の靖国神社礼拝に行こうと計画している。そして本殿奥の奥に眠る英霊たちに手を合わせながらちょっと聞いてみようと思うのだ。私はいたって真剣である。本気だ。英霊たちに聞きたいこと、問いたい事があるのだ。宮司さんや係の人に聞くわけじゃあないよ。

このnote上でも記事の中で何回か触れたが、先の大戦、太平洋戦争における日本陸軍の戦いの軌跡、就中(なかんずく)敗北に敗北を重ねていった昭和18年以降、兵士たちが、どう戦いどう敗北していったのだろうか、そうして戦争が敗戦という結果になり、誰がどう責任をとったのか。それを軍事史というプロの視線ではなく、市井の者としての私の判断基準に照らしてみていきたいと、つまり「負け戦(いくさ)」を集中的に読書勉強してきたつもりでいる。

このnote上で高政治的な所信を披瀝するのは適切ではない。言葉を慎重に選びながら書こうと思う。

漫画家の小林よしのりが言わんとしていることの概ねは理解できる。彼の代表的な本を3冊読んでみた。太平洋戦争というわが国有史以来最大の「総力戦」に負けた日本が、勝者であるアメリカに支配され、その後、東西冷戦の狭間で朝鮮戦争ベトナム戦争の側面的恩恵もあって早い復興をとげたのは間違いない。いわゆるパックスアメリカーナという世界を支配する大きな体制の一国となり、大きな経済成長をとげた戦後日本にあって、反面では国家としての何の思想もなく、結果として近隣諸国との軋轢や国際紛争への対応を場当たり的に下策を重ね阿諛迎合(あゆげいごう)してしまっている。つまりアメリカの属国で居続ける他力本願国家、そんな政治体制や国民を小林よしのりは厳しく喝破している。
彼の私憤は、分かる。半分、わかる。半分だけ、だよ。
私の読んだ彼の作品は漫画とはいえ十分読み応えのある本ばかりだ。だが、私がいままで勉強してきた上で言わせて貰うと、小林よしのりの描く太平洋戦争の中の軍隊、兵士、家族、等はあまりに「きれいすぎる」のである。「かっこよすぎる」のだ。美化しすぎている。
私の読んできた書物のなかの兵士等は彼の描く漫画とはだいぶ違っている。それは熱帯のジャングルを彷徨しながら瘴癘に魘され(しょうれいにうなされ)、餓死した兵から発する屍臭のなかで、それでも生きようと、泥をすすり、昆虫や草の根をかじり、痩せ細った身体を持ち上げ祖国日本へ一歩でも近づこうと足を前に踏み出している、そんな姿なのだ。
敗戦後のシベリア抑留や、満州や中国東北部からの引き揚者たちの惨憺たる様も特記しなくてはならないが、それらは確かに戦争そのものではなくて敗戦という結果だと言えるかもしれない。では、ガダルカナル戦以降のアメリカ軍による飛び石作戦に取り残された多くの島嶼、インパール作戦を中心としたビルマ、フィリピンの島々をみよ。そこで起こった、戦闘死ではなく、餓死し、飢餓から来る戦病死をした多くの兵たちをみよ。戦死戦病死230万の兵のうち約6割、140万人が広義の「餓死」であるという。敵地での戦闘の結果ならまだしも、補充兵として旧式の輸送船の船倉に詰め込まれ、現地に着くまでもなく撃沈され、船倉ごと深い海の底へ沈んでいった兵士が余りに多数であることも最近知った。これら下級兵士が受けた凄惨な死を小林よしのり氏はどう見ているのだろう。敵空母に向かっていく特攻隊員はカッコよくて、ビルマの森の中で蛆が腹の傷から湧いていながらも、オレを置いていかないでくれと友軍にすがる兵士はかっこわるいのか。私にはわからない。

私は本気で靖国神社の奥に眠る父や祖父に聞いてみたいのだ。現代の私達はこれでいいのか、と。私達は間違っていないのか、と。
現代の日本と言えど小林氏に叱咤されるまでもなく、近隣諸国からの厳しい圧力は依然として消えず、島嶼国家である宿命からか絶えず領土領海領空を脅かされ、安寧としてはいられない。一方で悲惨な戦争と敗北を通して得られた「貴重な経験」が間違いなく国民の財産として目前にある。

靖国神社の奥に眠る英霊、つまり私達のお父さんおじいさんたちは、手を合わせた私に、そっと教えてくれるだろうか。