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津軽 2 弘前市

弘前の城下の人たちには何が何やら分からぬ稜々たる反骨があるやうだ。何を隠さう、実は私にもそんな始末のわるい骨が一本あつて、その日暮らしの長屋住居から浮かび上がる事ができずにゐるのだ。数年前、私は或る雑誌社から「故郷に贈る言葉」を求められて、その返答に曰わく、
汝を愛し、汝を憎む。    
                                「津軽」より

1、町が大きい

森や山の間をしばらく走っていた東北新幹線が、スピードを落として、ゆっくり青森の市街に入って行く。車内放送の通りもうじき新青森駅だ、ここで降りなくては。私は車窓から広がる町を見た。驚いたのは、私の住んでいる東日本あたりの中核都市より、この青森のほうが大きい、と言う事だ。
「あれ?町が大きいな」車窓から見えた青森の市街はとりあえずはそんな印象。
新幹線を降りて、在来線に乗り換え弘前に向かう。
電車が町を出ると、ホッと胸をなで下ろす景色が広がった。つまり田園と果樹園、遠方には山並み。でも弘前駅に降り立ってあたりを見回したならば、私はまた青ざめてしまった。町が大きい。言い方をかえれば町が広い。道路も広い。ビルも大きい。イトーヨーカドーもヒロロもでかい。
仙台は別格として、東北の町という町は、私の町と同じように、みな山間の小さな盆地に作られているものだとばかり思っていた。その狭い土地に町の建物や住宅街が、肩寄せ合うようにひしめき合っていて、道路は狭く、また30分も歩けば、畑と田んぼ、その先は山、だけなのでは、などという、ステレオタイプ(先入観、思い込み)な地方の都市論が私にはあって、その固定観念からは、東日本の地方都市のなかでは、私の住む町が一番大きいのではないかと、井の中の蛙、半ら決めつけていたのである。そんな偏狭な前近代的定規を持っていたのだから、このでかい町に、ああ、びっくりした、となったわけである。

2,弘前散策

弘前城は現在その石垣の改修中だった。「津軽」では、太宰治は弘前の町と弘前城についてなかなか詳細に紹介をしているのだが、目前にあるお城はといえば、ただ重機の音とともに、天守閣らしき建物は足場が組まれていて風情も瀟洒もない、もっと言わせて貰えば、ここから見える天守閣は、女子が「キャー、立派!」とため息を洩らすような、天空に向かってそそり立つ男性的な天守閣、ではないのである。何か訳でもあるのだろうか。私が行った事がある長野県の松本城は、国内最古の天守閣を誇るだけあって、弘前城天守閣の数倍、いやもっとでかいと思うのだがどうだろう。国宝松本城!戦闘のための築城を前提にしている天守閣。まさに天に突き抜けている。カリがでかい。太宰は「津軽」の序章、最後のあたりでこの弘前城をやけに誉めているが、私にはそうでもねえなぁという正直な印象。ところが、歩いて廻った弘前城公園全体の広さは半端なく、乗った循環バスから見る街の風景も含めて、この町の平面的な広がりに、またもや感心感嘆、ため息が出てしまった。
弘前市散策の結論としては、私の住んでいる町が、いや私の昭和然とした定規が、どんだけ田舎なんだと言う事だ。弘前の町の広さに跪きつつ、冷や汗一斗、恥ずかしい限りである。

3,追記

写真はおしゃれスタバ。戦前この地にあった弘前師団の、師団長が住まわれた官舎という歴史的建造物をリメイクしたとのこと。夜は駅前のホテル近くの居酒屋で名物「貝焼き味噌」なるものを食べ、地酒「じょっぱり」「田酒」をいただいた。おいしい。この地の人は幸せである。ただ、ホテルへの帰り道に寄ったコンビニの店員さんに「お客さん、レジ袋はどうします、必要ですか」と問われた、その強いアクセントのある一言が聞き取れなかったけれど、優しい人ばかりが住んでいる町のようである。