御安全に、って何?

大学の人文学部系を卒業し、普通の会社に勤めてみたけれど、毎日何だかモヤモヤしていて、そんな日々のなかで、あるときこのnoteを見つけ、ちょっと自分を励ますような記事を書いて、数件のスキを貰い、うんこれはいいぞと納得し、もしかして才能あるかもと自画自賛気味の、あなた、そう、自称クリエイターのあなたですよ。
どうも、こんにちは!
実は私もその一人です(笑)仮想通貨が何たるか、どうして取引できるのかいまだ理解できません。
さて、今日お話しするのは、一つ目には寒いってイヤだけどでも反面、頭が覚醒されていて良いという話と、もう一つは、路上で見かけた工事中看板の話です。
男女問わず皆さんは、寒い寒いと言いながら肩をすくめて帰宅を急ぐ、冬という季節よりも、暑い暑いといいながらもTシャツ短パンでそこら辺うろうろできる夏のほうが、いや一般的にはですが、どちらかと言えば良い季節と捉えるのではないでしょうか。私も同感です。ところが最近発見したのは、夏は確かに活動的でいいのだけれど、一方で盛夏の午後などは暑すぎて、自分が自分でない、頭がボーッとして、オレの脳みそは多分10%も動いていないだろうなと体感できてしまうくらい、バカになってしまっている事ないですか?。でも冬って身体全体が縮こまって、能動的に活動する気起きないし、外にいても、寒いから早く家に帰ろうとばかり考えていて、でも、ふと立ち止まり己を俯瞰的に見てみると、おやおやおや、オレの頭って、脳みそって何だかフルパワーで動いているぞ、頭の中、シャキーンてしてるぞ!という気持ちに、時々なったりはしませんか。
頭で色々考えているこの自分を、別の自分が確認行為しているというか、つまりアイデンテティといおうか、確かにオレはいまここに立っていて生きているんだという実感が感じられるんですよ。皆さんどうですか。そんなことないですか。寒い中にも意識あり!
確かに今、私の意識はしっかりしているし何かを必死に考えている。よしよし!

さて次の話。どうも気になってたまらない、工事中の看板があるんですよ。会社への途上にある、小さな交差点信号機の手前、まあ工事中を告知しているのですが、この看板は読む者に、一体何を告げているのか、皆目、分からないんです。
丁寧な工事中看板を作ってくれたこの会社に敬意を表しながらも、ちょっと斜め上からの視点で、一点の問題を提起してみました。

本旨である「○○通り通行できます、店舗等へ行かれます」も何だか変。特に往来に支障を来していないじゃないか、と突っ込みたくなります。つまり問題なく「行ける」んですよ。でもこの先方に多少の障害物があると微かに匂わせているような、、、
さてもう一つ「?」なのが次の一節「水道工事中ですが、御安全に」。水道工事中だとう事実は、これだけは、わかった。自明の理。うん。その次、接続詞の「ですが」が入るのも変だろう、「水道工事中です。御安全に」ならそれでも分かるが、そもそも「御安全に」とは何だ?安全に通行してくださいと言ってはいるのだろうが、それを「御安全に」と略すのも何だか変じゃないか。「安全に通行してもらう」のは工事責任者が責を負うのであって、歩くこちらはそんな義務を背負う必要がないのではないか。納得いかない。そもそも日本語として、おかしい。

とね、こうして深い洞察もないまま、批判的に突っ込んでしまうのは、上のように簡単だけど、私はこうして書いているうちに、何だか少し自分が恥ずかしくなってきました。初めは、この看板の変な日本語を突っ込んで記事にしようと、それだけを思って書き出したんですが、でもよく考察してみると、危なくないけど工事しているから一応気をつけてね、という主旨の、至極丁寧な看板を当たり前に作る、地方の恐らくはちいさな会社と、日常社会に根付いている、人を思いやる気持ち、がひしひしと感じられてきました。日本ならではの気遣い。親切です。やさしいです。まあ、万が一、通行人がケガしたとき工事中看板のあるなしで保険やら裁判やらに影響する、そのファイヤーウォールとして立てたのだと考えるのも一論ではありますが。
勘ぐりはやめて、ここは素直に、分かりました。御安全に、通行しましょう。
えっと、看板を見てビビビッと反応したオレのこの洞察力はどうすか、頑張れば赤瀬川原平ステージに上がれますか(笑)では。