ワイド版岩波文庫
堅い話の前に、最近の旬な女優と言ったら、とここで男の読者をぐっと惹きつけられる気がして書くんだけれど、橋本マナミはいかがだろう。正にいまが旬。推しです。
彼女を嫁さんに持った後の毎日、いやもっと言うと、毎夜、を考えると、こんな初老のおっさんでも、鼻の穴が広がってフガフガと鼻息荒くなって、実際に彼女を嫁にに貰った後の生活を妄想しては、こりゃあたまらねえと、心に栄養を与え楽しく過ごしている。彼女マナミは夜が好き、夜が強い、という勝手な前提が妄想の中で付加しているからたまらない。
小さな下着を付けて俺の帰宅を待っていたマナミに、冷や汗一斗、汗ふきながら「いや、オレ、きょう仕事きつくて、すげー疲れているから、夜は勘弁して!ごめん、また、するから、ね!」。
言葉途切れ途切れに、こんなせりふ言ってみたい。
閑話休題、「師事する」と「私淑する」との違いを最近知った。直接的に師として教えを受ける事を「師事する」といい、直接教えを受けたわけではないが著作を通じて傾倒し師と仰ぐ事を「私淑する」というのだそう。
まさにこの言葉に倣って、ここで公言させて貰えば、私は高校生の頃から二人の作家に(を)私淑している。助詞「に」なのか「を」なのかもよくら分からん。(を、なのだろうが)
一人は梶井基次郎。もう一人はこれから書く、太宰治。
あれは高校生の頃、梶井の「檸檬」にしびれてしまった私はバイトで得たお金をもとにこの作家の全集を買った。筑摩書房刊のもので全三巻。梶井基次郎全集は既刊だったのですぐに手に入り「城のある町にて」にビリビリとしびれて、痺れたまま大人になっていったのだ。
その後社会人になって筑摩書房から予約販売なる「太宰治全集」が刊行されるのを知って、それから約1年位かけて全12巻買い揃えた。
そうしてあれから数十年、物持ちの悪い私のこと故、無類の読書好きながらも、買っては捨て読んでは捨てていた本の数あまた。でもこの二人の全集だけは今も、こうしてこの机の下に保管されている。余談だけれど、最近発見された、太宰から佐藤春夫に宛てた書簡、筑摩書房さん、できれば第11巻の追補別冊として発行、配布してくれませんでしょうか。
ところで最近まで知らなかったと言えば師事私淑の違いだけでなく、岩波書店さんたら、ワイド版岩波文庫たるB6サイズの大型文庫を、1990年代から出していたこと。普通の文庫本はA6サイズ、読んだらさっさと処分、こうなると俄然、ワイド版の法が本として存在感を示し始めてきて、捨て好きの俺にもかかわらず、大切に保管したくなって来る。
まず買ったのが宮本常一「忘れられた日本人」、そうして今日、届いたのが太宰治選集。タイトルは「富嶽百景、走れメロス、他八編」とあり、井伏鱒二先生が選んだ太宰中期の作品群だ。Amazonでは新本がなく中古でも定価の倍、2300円からだったのに比して、hontoでは新本として定価通りの販売をしていたのだ。そうしてこの本を注文しようと思った決定的な理由は、他でもない、このタイトル以外には何が納められているのか、ネットで探っても出てこなく、マニア的に気になりつつも、井伏鱒二が選者であって、且つ太宰が生涯の中でもっとも落ち着いた生活の中で精力的に執筆していた頃の、作品群で「あろうと察せられた」からである。つまり想像では、あれとあれと、ひょっとしたらあれも入っているのかなという楽しい想像。
届いた本を開けて見ると、確かにその通り、私のザベストオブ太宰治たる「東京八景」(以前の記事では桜桃と書いたけど)がしっかり納まっていて、変にホッとしたのだ。通常太宰はKindleで読むんだけど、この本は大事に保管しよう、そう決めた。ところで、ワイド版岩波文庫シリーズのなかで太宰はこの一冊だけなのね。ちょっと岩波茂雄さん、もう一冊くらいお願いしますよ。太宰晩年の作品群で。
因みに作家の柳美里は「御伽草子」の「カチカチ山」が一番だと言っていたと、どこかで読んだけど、これを読んでるあなたは何が好き?