好きなのだから仕様がない
見出し写真は、私の働く職場から車で5分ほど、交番がある交差点の裏に整備された児童公園にて。七分咲きの桜とチンコ出した少年像の取りなす、美しくはないが、思わずニコリと微笑ましい光景ではある。
さて、太宰治の「ダス・ゲマイネ」を読んだ。世田谷経堂病院、船橋転居時代、つまり薬でやられていた頃の代表作。
そうして彼は昭和初期の往時を代表するコピーライターと言っても良く、数々の名言を産んでいて、それらを集めて一冊の本になつている位なのだが、なので私はKindle版を蛍光ペン引きながら読んでいる位で、作品の諸処に読者を唸らせる台詞がいくつも出てきて、なるほどと感心するのである。
「ダス・ゲマイネ」でも、読者を惹きつけるこの一文から始まっている。
いわく、
恋をしたのだ。そんなことは、全くはじめてであつた。・・・けれども私は、そのころすべてにだらしなくなつてゐて、ほとんど私の身にくつついてしまったかのやうにも思はれてゐたその賢明な、怪我の少ない身構への法をさへ持ち堪へることができず、謂はば手放しで、節度のない恋をした。好きなのだから仕様がないといふ嗄(しわが)れた呟きが、私の思想の全部であつた。二十五歳。私はいま生まれた。生きてゐる。生き、切る。私はほんたうだ。好きなのだから仕様がない。
そう、そうなのだ。私も図らずも恋をしてしまったのだ。そうして私の恋に対する思想もただ一言によってのみ満たされる。
いわく、
Y のこと好きなのだから仕様がないのだ
そうして、私の頭の中に瘡(かさ)のようにこびりついた恋の気持ちなのだが、当のY(私の秘密の恋人やまパンちゃんのこと)は、既婚者の私と付き合った後に、間違いなく訪れる不幸に、怯え、躊躇する。それでも女に向かって必死に恋を強要する私なので、彼女は余計に気持ちを受け入れることを怖がり、そうして最近では逢う度に、何回も別れ話を切り出してくるのである。
私の車の後部座席。座ったY は何かを言いたげに先ほどから私をじっと見つめている。
いつものことなのだがその時も私は「こっちへこい」と、自分のからだに彼女のからだをぐっと寄せさせて、そうして右の掌を彼女の左頬に当て、彼女の身体が発する蜜の甘い匂いの中で、ゆっくり話をはじめる。するとY は私の太腿の上に置いた左手の指先をモジモジと動かしながら、私の話をじっと聞いている。
「あのな、別れるなんていやだよ。それよりもうおれのこと悲しませないって約束してくれ、しばらくはこんな心配をおれにさせないでくれ、笑い顔を見せてくれよ」
Y は泣きそうになりながら私の顔を見つめる。
「お前、まえに何て言った、キスをいっぱいしたい、お酒をたくさん飲みたい、お風呂も一緒にはいりたいって」
Y は深く頷いて、べそをかいた子供のような顔をこちらに向け、了解の返答の代わりのキスをしてくるのだ。いったいこの女、キスが特別に上手なのだが、なおかつ男を溶かすあの甘い蜜の香りとともに、私の尖った神経と言ったものにそっとオブラートを被せはじめる。
「Y。お前、どうしてもっと早くおれの前に現れなかったんだ」皮膜を被せられた私は、半分泣き顔になりながらもY に詰め寄る。
そうしてそこまで来て、やっとYは小さな声を返してきた。
「しょうがないのよ」
どだい恋とは、しょうがないものなのである。
恋をしたのだからすべては仕様がない。そうとしか、今は言いようもない。
さて、この記事の書き出しで紹介した「ダスゲマイネ」の文頭であるが、その後、こう続くのである。
いわく、
しかしながら私は、はじめから歓迎されなかつたやうである。無理心中といふ古くさい概念を、そろそろとからだで了解しかけて来た矢先、私は手ひどくはねつけられ、さうしてそれつきりであつた。相手はどこかへ消え失せたのである。
さて当の私も同じ運命を持ちそうである。てひどくはねつけられ、そうしてそれっきりになりそうである。私に残されるのは未練。