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「戦慄の記録インパール」読後に東電強制訴訟を考えた

今回読んだ本「戦慄の記録 インパール」は同名のNHKスペシャルとして2017年放送され、その後大きな反響を呼んだものを、補完し書籍化されたものである。DVDも発売されているようである。
この本の貴重かつ有益なところは、インパール作戦を、計画、承認、遂行 敗退、と時系列的に正面方向から分析するのではなく、側面、つまり作戦に参加し生還した元兵士や、作戦遂行当時、途上の村で日本兵と関わった現地の人たち、そんな彼らへの、(失礼を顧みず書かせていただければ)「おそらくは生存中最後になるだろう生きた証言」を主体的に収録しているという事だ。

インパール作戦とは、昭和19年春、敗色が濃厚となってきた戦局を挽回しようと日本陸軍が、ビルマ再侵攻を陽動してきたイギリス軍を殲滅し、援蒋ルートを切断するべく、「攻勢防御」という戦術でインド側の補給基地インパールを占領しようとした作戦である。私はこの数年来、日本陸軍が戦争後半に於いてどのように戦い敗北していったかを「組織」という一つのキーワードを軸に勉強していて、現代の我々に多くの教訓を教えてくれている点で、特にこのインパール作戦を詳細に研究しているのだ。そんな昨今、主として昭和の高度成長期に刊行された書物を読んでいただけなのだが、この2018年という今、敢えて刊行されたこの本の価値は非常に高いと思う。以前にも書いたが、失礼ながらあと10年も経てば、実際に戦争に行った「生き証人」が鬼籍に入ると想定される。私はそんな思いも含みながらこの本をゆっくりと噛みしめるように読んだ。

さて、そんな今日なのだけど、ふと新聞を見るとこんな記事が・・・

話が前後して申し訳ないが、インパール作戦が敗北に終わった原因は戦後多くの戦史家が分析していて、簡単にまとめてみると以下の通り。

計画そのものの無謀 従来型戦術の踏襲、情報の不足、敵戦力の過小評価 指導者の傲慢な性格 計画承認プロセスにおいて人情論を優先 制空権なし 延びきった補給線 輜重体制の軽視 退却の想定なし また頓挫したときの対応策の欠如

上に貼り付けた新聞記事で扱われている福島第一原発事故の、津波対策実施先送りを、インパール作戦と短絡的に結びつけて議論する気はないが、それでもタイミングが合ったので、頭の中で並列に思考してみると、いくつかの共通因子が浮かび上がってくる。
そもそも地震は、ある日突然偶然に起きるから、予見はできないといえばそれまでだが、一方で定説たる学説(地震本部による長期評価)では福島県沖で大地震が起きる「蓋然性」はかなり高かったとされている。そこから導き出された東電土木チームの想定最大津波(遡上高)15.7メートルに対して対策を先送りし、途上での会議、メール、報告を知らなかったとした、この「大きな失敗」リーダーたる、武藤副社長の責任は大きい。上がってきた情報を「信頼性がない」と一蹴した判断は、正に「敵戦力の過小評価」であり、リスクを想定した整備をしなかったミスも、日本陸軍的体質そのものである。公判で被告人質問に対する武藤副社長の知らぬ存ぜぬ答弁は、相も変わらず上部機関に対する責任回避と部下や下部組織への責任転嫁そのものであり、組織のリーダーとはという責任論を、インパール作戦の牟田口中将や師団長、参謀、南方軍、大本営の将軍たちに、戦後課せられた「歴史の裁き」を思い起こしながら、東電幹部に問いかけてみたくなるのだ。

ただ確かに裁判進行上の現実的対応では、東電は200件弱に及ぶ民事訴訟を抱えていて、巨大津波を予見できたと非を認める事はあまり想定できないし、過大な?安全対策は会社の経営を脅かし、ひいては電気料金への転嫁も想定できてしまうのも事実なのだろう。でも一方で予測通りの14~15m津波が福島第一を襲い、結果として、避難を余儀なくされ、家を追い出され、故郷を失い、その地に二度と戻れない辛い生活を強いられている多くの住民が現に大勢いるのだという事を再確認しなくてはいけない。
私は原子力政策について、何らの政治的意図も思想も持ってはいないし、note上で個人的思想信条を披瀝するのは控えなくてはならない。もっと言うと、電気が現代生活に欠かせない存在であり、停電もせず当たり前のように供給されて来る巧緻なインフラシステムになっていることを我々は再確認しなくてはならないし、私は感謝さえしている。太平洋戦争で「痛い目にあった」「大きな失敗」を経験したことを勉強している今、私が思うのは。企業や政治のリーダーたちは、最大リスクを想定した準備をし、緊急時に柔軟に対応できる体制を作っておく事(contingency plan)と、現実に起きてしまった失敗は素直に反省し、より安全な安心な社会に一歩ずつ近づけていく努力をしなければいけない、理非曲直を見極め、認識を新たにしていただきたいと思うのである。大厦(たいか)を持ち栄達するだけが人間の生きる目的ではない。貧乏人の僻(ひが)みだけれど(笑)

若者たちよ、スマホゲームなどやっている暇はないのだ。
歴史をきちんと学ばなくてはいけない!!