見出し画像

田舎の図書館と映画「華氏451」


(この記事は本日4月15日昼間現在のものです。明日16日から当該図書館含め全館の臨時休館との連絡がありました)

1,はじめに

私の住む山国の寒村でも、先日(4月13日現在)、桜がようやく満開になったとのニュースがアナウンスされていた。そして開花から満開までかかった日数が11日と、観測史上最長記録であったそうな。どおりで最近の一週間は寒かったわけだ。
そんな満開ニュースのその日、午後から降り始めた雨は夕方になると結構の雨脚になっていて、なんだか私は少し嬉しくなってしまった。
いや、本当は皆と同じで、どだい雨の好きな人はそうはいない。人間誰しも晴れて透き通った青空の下で、大きな呼吸をしてみたい、雨の日は憂鬱だと思うのだけれどその日はちょっと違った。
私はしんみりとして、こう思ったのだ。
「例えばこの強い雨が、いまのこの世を覆っている変な病原菌をきれいに洗い流してくれるのかも。社会に蔓延した悪病を振り払うような雨であって欲しい」
あと2,3日降ってもらっていいよと願わずにはおれない、恵みの雨といったら語弊があるかもしれないが、力強くて優しい雨だった。

2,閲覧できない図書館にて

そんななかで、コロナウィルスは猛威を振るっていて、私の一生のなかでも経験したことのない社会不安が、私たちを取り巻く生活のここかしこに現れている。桜の満開を伝えた先ほどのローカルニュースでは、図書館などの公共施設の一部制限についても触れていた。既に2月末頃には皆の集まる学習スペースは閉鎖されていたけれど、昨今の緊急事態宣言を踏まえてこの田舎図書館においても、もう1ランク上げた制限がかかったのだ。それは館内における全ての閲覧が禁止されたというものだった。勿論この決定に異論はない。

この記事をお読みの諸兄は図書館が好きか?私は大好きだ。とても好きだ。
2月辺りまではだけど、暇な休日などは、街までランニングして、そのあと町外れのこの図書館まで街探検しながら来て、新聞やら雑誌やら捲る人々、何の研究をしているのか熱心にメモを録りながら本を読んでいるじいさんなどの様子を見ながら、「うんうん、これでいい」と変に頷きながらひとときを過ごす。1,2冊、館外貸し出しなどして貰って背中のリュックにいれ、ラーメン屋でビールを飲み、自宅までまたランニングする。

さて、桜が満開になった、でも雨が降って寒いその日の夕方のこと。貸し出し期限が迫ってきて、取り合えず借りている本を返しに行かなくでならない僕は、不要不急には当たらないと判断して、そんな哀れ悲しげな図書館に行った。
それはアナウンス通りという、静まり返った建物をなしたものだった、私はたくさんの一般書籍て埋められた書棚のある閲覧室にはいっていった。
確かに書棚の辺りにはそれなりの利用者が散見されるのだが、書棚群の中程に大きくとられた閲覧机と横の新聞棚には、荷造り用のビニール紐が張り巡らされ、座れないどころか新聞を手にすることすら出来ないのである。そうしていつもにまして館全体がシーンと静まり返っている。
繰り返すけど、そんな図書館の処置を揶揄したり責めているのではない。
近くにいる図書館司書に話を聞いてみた。
「館内で閲覧はできないのですか」
「はあ、そうです」そっけない返答。
「じゃあ、借りたり返したり、えーと、館外貸し出しはできるのですね」
図書館司書のお姉さん「はい、いまのところは」そっけない。
「ん?どうなるか分からんと言うこと?」
「そうです。今のところ館外貸し出しができる、としか言いようがありません。」
そっけないのである。どうぞ早くお帰りなさいとの顔。おっしゃるとおりです、帰ります。
10分ほど書棚を見てまわり、慌てて以下の5冊を館外貸し出ししてもらって、私はなんだか切ない気分を抱いたまま、そそくさと館をあとにしたのである。人間よりサルやイノシシ、シカの多い田舎といえども、外出は控えなくてはならない!早く帰宅しよう。

「中国戦線従軍記」 藤原彰
「帝国海軍の最後」 原為一
「太宰治の絶望語録」豊岡昭彦
「太宰と井伏 ふたつの戦後」加藤典洋
「太宰治の年譜」 山内祥史

3,映画「華氏451」と現在

私が若い頃、テレビで「華氏451度」という外国の映画を観たことがある。そもそも私が観たときも、既に映画の封切りから何年も経ってのテレビ放映なのだろうし、いささか昔の話で、wikipediaを読むまではあらすじすらすっかり忘れていたけれど、それでも今でも強烈に記憶に残っている映画のひとつである。本を読む事を禁じられた架空の都市がその映画の舞台であると言うただそれだけなのだが、そのわずかな記憶に当時の私は強烈なインパクトを受けてしまったからだ。
この図書館の状況と「華氏451」を連結してあれこれ想像するのは、いささか失礼であるのは勿論承知している。図書館側もこんな緊急事態にやむなく対処したという結果であり、目的はコロナの市中感染を防ぐ為なので、読むなとは一言も言ってない。私はこの閲覧できない処置と状況を両手をあげて賛同する。正義なのである。 まだ図書館全体が封鎖されていないだけ、田舎はいい、ありがたい!としなければならない。
でも一方で私たちは、未だかってない異常な風景をこの目で見ているのではないだろうかという不安がして来た。杞憂であって欲しいのだが、先日テレビでは政治学者の田中秀征氏が、これから大量失業がはじまる。そしてそれを起因とする経済の疲弊が業種を越えてあちこちで起こり、それが連鎖することで未曾有の不況恐慌が起こるかも知れないと警告をならしていた。怖ろしいのは寧ろこのあとなのだと。

4、歴史の上にいる私達

以前から私は、自分のライフワークとして、私たちの父祖が経験した太平洋戦争という惨憺たる出来事を自分なりに学び直そうとしているのだが、またこうして何度かこのnoteでも書いてきた。その発想の根拠には少なくとも私たちが生きている今という時代は大きな社会の変動はないだろうという前提があったのだ。平和な時代がしばらくはつづくのだという安堵の上に、戒めとしてそんな発想があったのかも知れない。
でもそうじゃないのかも。
私たちもこれからつらい時代を経験するのかも知れない。ここで読者の不安をあおる訳ではないし、単なる私感なのだけれど、回りを見よ。
誰も歩いていない新宿渋谷銀座。誰も乗らない、ただ空気を運んでいるだけの新幹線。飛ぶ予定もないまま空港の駐機場に並んでいる飛行機。みんな戦々恐々と首をすぼめて生きている。そんな今の状況だけを切り取って見ると少し怖ろしくなってくる。

話を最初に戻そう。
読者におかれては、おっさん、また太宰治の引用かよと、うんざりしてしまうかも知れないが、ここはあえて書かせて貰おう。
いわく。

太宰治「津軽」
私はこのたびの旅行で見て来た町村の、地勢、地質、・・・などに就いて、専門家みたいな知ったかぶりの意見は避けたいと思う。私がそれを言ったところで所詮は、一夜勉強の恥ずかしい軽薄のメッキである。それらについてくわしく知りたい人は、その地方の専門の研究家に聞くがよい。私には、また別の専門科目があるのだ。世人は仮りにそれを愛と呼んでいる。人の心と人の心の触れ合いを研究する科目である。私はこのたびの旅行において、主としてこの一科目を追求した。


さて私なのだが、太宰先生と同感で、詳しい医学的見地からの感染問題の追求はどだい無理。私は特に「愛を探し研究する会」の会員だからだと強調しておきたい。
先日午後の、久しぶりの雨、強く降りしきる、雨。雨がきっと変な病気を流しきってくれるのではないか、そうであって欲しいと、図書館からの帰途、ふとそんなたわけたことを夢想してしまうのである。