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街に嘆けるマリア

三鷹市の陸橋

そうですか。取り壊し、ですか。
僕がこの三鷹市の陸橋を訪れた3年前の夏は、ポケモンの何か(笑)が出るスポットなのか、老若男女が集まっていて皆が無言でスマホを見つめ、場が薄気味悪く、写真を撮る空気ではなかったのだけど、それはそれとて太宰治が佇む写真で有名になった、まさに歴史的建造物。昭和4年に作られたとある。保存してこの先100年架けたままにしておく、と言うわけにも行かないのだろうけど、太宰ファンの一人としてはちょっと痛い。

朝の母子の美しさ哉

夏から秋にかけて出勤時によく見かけた母と子。補助輪をつけた自転車に乗る3才くらいの男の子。背中には小さなリュックが揺れている。駅に向かう道は少し下がり案配になっていて子の乗る自転車をつかみながらも、若い母は小走りになり、ポニーテールの髪が揺れている。そんな風景。
冬になって、夏とは違う電車に乗るのか、その母子をまるで見かけなくなったのだが、今朝は久しぶりに見かけたのだ。 
寒さもさることながら、前日の雪が路肩に寄せられ、それが凍って、畢竟、道幅も狭くなる、私の住むこの寒村。今朝の親子はというと、子供は自転車に乗ってはおらず母に手を引かれていた。電車の時刻が迫っているのか、母は相変わらず小走りで駅に向かっていた。手をつながれた男の子は雪道が嬉しいのか手を振り回したり、飛び跳ねたりと、小躍りしている。
冬の遅い日の出に合わせて通勤時間の今、朝焼けが町と空をを赤く染め、低く広がった雲を燈色に変えている。駅に急ぐ通勤通学の人が、凍った雪を踏むガリガリッと言う音、そんな中に塗装の落ち掛かった田舎電車がグーと音を立ててやってくる。
私はこの何気ない日常風景を一枚の絵と見立ててみる。何気ないなんだか静寂としたこの風景画に、その絵のなかほどに、この母と子が主役として入っているのだと、そんな風に思えてくる。
そうして私は「そうだ、こんな絵、どこかで見たような気がする」と思い始めた。すぐに私は梶井基次郎「交尾」冒頭に紹介されるマックス・ペヒシュタイン「市に嘆けるクリスト」を思い浮かべ始めた。

私 は かつて 独逸 の ペッヒシュタイン という 画家 の「 市 に 嘆け る クリ スト」 という 画 の 刷り 物 を 見 た こと が ある が、 それ は 巨大 な 工場 地帯 の 裏地 の よう な ところ で 跪い て 祈っ て いる キリスト の 絵像 で あっ た。    梶井基次郎「交尾」

私が目前に見えているこの親子はそれほど暗澹とした風景の中にいるわけではないけど、何気ない人々の営みのなかで彼等の周囲だけが輝いて見えるという意味づけに於いては、正にこの絵が私の頭の中で被って見えてくるのである。
「市に嘆けるキリスト」のめっちゃ明るいヤツってことで!

ただし、ネットでどう探してもこの絵は見つからなかった。つまり、私、見たことはない、と言うのがオチ。