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すごい人たちと、一方で冬の自分は

週末。日本国政府の強い指導に従って不要不急の外出を控えた私は、静かに自宅で日の過ぎゆくを待っていようとしたけれど、最近体調の芳しくない妻にイライラを一日中あびせられて、亭主元気で何とやら、ふらふら町へ出てみてもいつになくひっそりと静まりかえっていて、やむなく近所のマックでご飯バーガー買ってきてコタツに戻り、パソコンを広げては、最近気になる言葉を検索し掘っていく、そんな無気力な二日間だった。
なかでも先日視聴し、いたく感動した 「no art, no life」戸谷誠 に衝撃を受けた余韻もあり、そこらへんを手がかり足がかりにして、現代の市井に埋もれた現代美術の画家たちを何人か探って見た。
 
「人知れず表現し続ける者たち」→ここを掘ると出てくる変な人たち。
「no art , no life」→変な人たち、いっぱい。
「独居老人スタイル」→変なじいさんばあさん達を紹介した本らしい。展覧会もあったような。読んでみたい。
「戸谷誠 イラスト」→このところお気に入りの戸谷誠については、入念に調べてみたので幾つかの記事も拾えて、うーん、唸りつつも改めて関心した次第。多摩美大を卒業後、薬屋を手伝いながら時折個展を開いている(らしい)。
検索していて副産物を得たとすれば、これら現代美術の画家達を世に紹介している、これまた変わり者の人がいることに気づいた事だ。
「都築響一」
「櫛野展正」
都市に埋もれた変な人たちを探しあてて、どうだいとばかりに、世に知らしめているという、この人たちも十分不思議なひとたち、とすら思え感動した次第。
特に都築響一。
そういえば以前、近所の歯医者の待合室に「東京スタイル」という本がなにげにおいてあり、順番待ちの際、興味深く読ませて貰ったのを思い出し、その記憶とともに、その筆者、写真家たる都築さんと同一人物だと今更ながら連関されたのだ。そうか、あの本の人か!

他に、
菓子箱の裏に天使の絵を書き続ける、これまた不思議なじいさん、長恵(ちょうめぐむ)。 
電車とアイドル以外の一切が透けて見えるという、鉄道画家?早川拓馬。
なんともおどろおどろしい奇怪な自画像をボールペンで描く女性画家はくのがわ。

さてこうして市井に生きている画家達の画などを、毎夜、なぜだか分からないけど、魘(うな)されるように調べ考え続けている私なのであるが、そうして冬にはいつでも自分の心に、鬱に似た「塊(かたまり)」のようなものがどっかと澱んで、それは牛乳瓶の底に白く溜まった液よろしく、私の心を腐らせ疲れさせているのである。それは例えれば、沈没船から溢れた重油で身体と羽根をべっとりとさせた海鳥のごとく、バタバタもがいてみても私を身動きさせないでいる。つまり私の心は冬という閉鎖空間の中に閉じこもったままなのだ。
こうして夜ごとnoteに向かって文字を並べ、また、ネットに不思議な人たちを探していると、自分が生きているという感覚の正体は、実は鬱に似た不吉な塊であると分かってきて悲しくなってくるのだ。あと半月ほどして、自動車のタイヤを夏に戻し、海へ行き波乗りなどして一日過ごせばきっと・・など、そんな事をポカーンと口を開けたまま、ぼんやり考えたりしている。

↓何だかカッコよく見えてくるから芸術家って不思議!