酔狂の哲学者たち
ピスタチオに乾杯をした前の日の夕方。
私はアテネをぶらぶらしてから、ビールを片手に街外れの丘を登った。
この丘はソクラテスの囚われていた岩の牢獄でも知られており、パルテノン神殿を一望することもできる。私は飛び級を決めた時期で、日本に帰ればソクラテス・メソッドという悪名高き講義が待っていた。学生と対話して進めるアメリカ仕込みのスタイルだが、悲しいかな、この国ではその話術は誰も持ち合わせちゃいない。まあそんなことはどうでもよい。
ひととおり写真を撮ってビールを開けると、近くのギリシャの女性にこう尋ねられた。なんでもアテネ住まいで写真家と芸術家をしているという。
「こんなところで何をしているんですか?」
それが問題だ。アテネは偉大な哲学者の歩いた街である。大学生であれば、私たちに知り得ることの限界を一度は論じてみただろうし、中庸に憤りを覚えたこともあろう。私も哲学を通じてものの考え方を少しは学んだ。しかし、日本に帰ればソクラテスの牢獄が待っている。
「ソクラテスはここで毒盃を呷って死にました。私はその場所へ、かわりに酒を飲みに来たのです」
哲学者の死から2400年、神は死に、偉大なる哲学者たちも死んだ。それでも私は今ここにいる。生きて酒を飲むことのなんと素晴らしきか!
こう言うとギリシャ人は大いに笑い、私が差し出したビールを受け取った。
酒を飲むとよくこの日のことを思い出す。ギリシャ人とは今でもたまにメールなど交換している。桜を見てみたいと言っていたが、いつになることだろう。それでも、いつかはまた酒が飲めるようになることを私は願っている。
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