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はじめの一歩は歴史から。松本城・三の丸ってどんなとこ?

三の丸エリアプラットフォームの活動を語る前に、まずは知っておきたい……いやむしろ、知らねばならないことがある。
ずばり「三の丸ってどこ・どんなとこ?」という初歩的な事柄。
それを知るには歴史から! というわけで教えを願ったのは、
松本城愛にあふれる松本市教育委員会文化財課の福嶌彩子さんだ。
2023年10月にオープンしたばかりの松本市立博物館をいっしょに訪れ、
歴史を踏まえつつ三の丸を紐解いてもらった。

松本市教育委員会文化財課 福嶌彩子さん
松本市生まれ。大学時代の専攻は考古学。
松本城を地面の下から上までこよなく愛するひとり。



疑問1>

「そもそも松本城・三の丸ってどんなところ?」


外堀と総堀の間の範囲を指します
 松本城・三の丸が今の形になったと考えられる石川数正の入封(与えられた領地に入ること)の時代から幕末まで、三の丸はその大部分が「武家地」として利用されていました。

 三の丸から外の城下町の範囲は、時代にともなって拡大したりと変化していくのですが、三の丸は城郭の内側。幕末になると藩校の「崇教館(そうきょうかん)」ができたりと少し変化があるものの、基本的には形や性格を大きく変えていないことがわかります。

 繰り返しになりますが、三の丸からは城郭の内側です。だから武士でもない人が無断で三の丸に入ると、お縄(逮捕)になってしまう。実際、酔っ払った町人が東門から入って捕まった、という記録が残っています。


松本市博物館の壁面にある天保6年の絵図で、三の丸を確認。
松本城は、本丸、二の丸、三の丸の3つの郭と、
それらを囲む内堀、外堀、総堀の3重の水堀で構成されている。

疑問2>

「江戸時代の三の丸に住んでいたのはどんな人?」


武士のなかでも”偉い人”が住んでいました
 先ほども触れましたが、三の丸エリアは武家地なので、住んでいたのは武士……しかも、身分の高い”えらい武士(=役付き)”でした。

 絵図の記録やこのジオラマを見ると、三の丸の武家屋敷は、間口の広い、大きい家が多い印象を受けますよね。二の丸の正面にあたる「太鼓門」のすぐ前には筆頭家老(いちばん偉い家来)が住んでいたのですが、家の間口が82m近くあります。ジオラマでもわかりますが、敷地内にお庭をもっている家も結構ありますよね。


約8.6×5.2mというこの巨大ジオラマは、松本市立博物館ご自慢の品。
南北2.4×東西1.2kmのエリアが、300/1のスケールでリアルに推定再現されている。

 ちなみに、これらの家は個人の持ち家ではなく、今でいうところの”社宅・官舎”です。武士はお殿様と一緒に動くのが基本ですから、どんなに丹精込めて世話した庭も、お殿様が国替えになれば置いていかざるをえません。


疑問3>

「松本城のオンリーワンな特徴は?」


縄張りと天守が一体となって残る「唯一の平城」であること
 松本城は縄張り(城の全体像)の特徴をよく残していることとあわせて、日本最古の五重六階の天守が現存しています。そのため、近世城郭としての縄張りと天守が一体となって、築城当時の姿を伝えている「唯一の平城」としての価値を有しています。

 ちなみに現存12天守のなかで平城はウチだけ。国宝に指定されている天守だけではなく、その周辺も国の史跡としてしっかり保護が図られているので、胸をはってオンリーワンといえるのです。

 ほかにも、特徴して挙げられることに「湧水が豊富」なことがあります。今も三の丸内は井戸が数多く存在していますが、松本城はお堀の水もそのほとんどが湧水であり、河川からの水の導入を行っていないところが、他の城郭とは異なる特徴です。また、江戸時代から水道設備が整っていたことは、発掘調査などからもわかっています。


疑問4>

「ありし日の松本城の痕跡は今も見られる?」


史跡からマニアックなものまで、痕跡、あります
 今でもわかりやすいのが、1970年に史跡に指定された「東総堀(片端)」や、同じく2007年に史跡となった「西総堀土塁」の公園です。

 そのほか、比較的わかりやすいものとして大手門跡(現・千歳橋周辺)もありますね。マニアックなものでいえば馬場、馬出跡、総堀跡がわかる場所。東でいうとホテル花月の南側に、西なら医師会跡地など、そして南は四柱神社の御幸橋付近、北は北馬場の土塁などがその例です。

 実際に街へ出るとよくわかりますから、行ってみましょう!

大手門枡形跡広場に隣接する四柱神社にて。
「ここがかつて総堀だった痕跡のひとつで、現在は御幸橋になっています。
石積みには、大手門の石材が使われたという記録が残っています」。
松本市民でも知らない人が多い、細い路地裏に総堀の痕跡あり。
「この路地を通ると、かつてのお城の雰囲気が実感できますよ」とのこと。
三の丸にはタイムトリップの楽しみがたくさん散らばっている。

 三の丸の端に立つと、当時の松本城の敷地の広さがよくわかりますよ。松本城は広い。だから今の松本城公園だけを見て「コンパクトだね〜」と言っている方がいると「もっと広いんですよ〜!」と、つい教えたくなっちゃいます(笑)。

かつて大手門があり番所が置かれており、「大手橋」と名付けられていた現・千歳橋。
三の丸の入口にあたるその場所で「ほんとの松本城はここからですよ〜!」と声を大にする福嶌さん。
下の地図でもぜひ確認してみてほしい。

さいごに>

福嶌さんにとって、現代の三の丸エリアはどんな場所?


松本城への理解を深めるためにも価値ある大切な場所
 現在の三の丸エリアは、そのほとんどが往時の松本城の範囲です。今は姿を変えていても、そのこと自体に価値があるのではないでしょうか? だから松本城の中(=歴史の中)に生活がある人たちが、とてもうらやましい。

 松本城のことは置いておくと、三の丸は、なつかしさや暖かさ、つながりが残っている地域だと思います。三の丸のなかには個人的に大好きなお店、お気に入りの場所もあって、会いたい人がいる。だからこそ、「お気に入りの場所」になるのだし、「お気に入りの場所」=「自分の居場所」だと思っていて、それを見つけられるのが三の丸。
それこそがこのエリアの価値だし、これぞ「誰かに語りたくなる暮らし」ですよね。


撮影/地図作成/文責:◯◯◯ap Magazine編集部

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