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「エッセイ」人間失格と言われた男

人間失格と言っても太宰治の文芸作品ではない。
ある日「人間失格」の烙印を押されちゃった主人の話。
私のくだらない愚痴をグダグダと……
漢字多いから、そこ飛ばして
読んでもらえたら嬉しいなってお話し(笑)

2010年 師走 
私の主人は大動脈瘤破裂によるくも膜下出血で、
遷延性意識障害(うわっ!漢字ばっかり 笑)簡単に言うと「植物人間」になった。

2011年
急性期医療の期間を終え、主人と私は追われるように次の回復期病院に転院した。回復期に入り転院と言っても容態が良くなった訳ではない。
早い話が、もう現代医療の外科的治療は施しようがないから「ハイ、次ね」とトコロテンのようにポンと次の医療機関へ投げ出されたわけ。
何度も何度も「もう少しだけ居させて下さい!」と病院側に懇願した。

でも元首相小泉純一郎氏が厚生大臣の時に発案した「医療改革制度」に基いて、どんな重病人もその例外には、ならなかった。
あ、誤解されないように言っておくと小泉純一郎氏は、好きな政治家の一人。

「痛み無くして改革なし」

「なんじゃ、そりゃ?」
と思ってたんだけど(笑)正に私達夫婦は、そこの痛みにスッポリと該当しただけの話、トホホ

私は急性期病院の事も勿論、恨んでいない。主人の命を救ってくれたあの病院に今もとても感謝している。そんな恩のある病院に迷惑を掛ける事は出来ない。
だって、私達が居ると次の「助かる命」が、助からなくなるかもしれないんだから。
でも大手術を何度も乗り越えた主人に三ヶ月間は余りにも短かったと素人の私は思う。
転院する時、主人は外されていた頭蓋骨を元に戻して腫れが引いただけの大病人だった。
何度も痙攣を繰り返す大病人をストレッチャーに乗せたまま「福祉タクシー」で高速道路を40分以上立ったまま支えて移動した。三月九日 小雨の降る春には遠い寒い日だった。
車椅子に座らせる事さえ、危険だった。
主人はまだ目さえ開いていなかった。


転院先の回復期の病院にも、とても感謝している。身体が大きくいつ発作を起こすか分からない主人を個室に入れてくれ(最初に入った四人部屋では、ベッドが大きく他の患者さんの邪魔になった)午前と午後に一回づつ毎日リハビリをしてくれた。

遷延性意識障害には「とにかく話し掛け刺激を与えて下さい」と前の病院から言われて居た私は毎日毎日、バカのように一人で話し掛け、音楽を聴かせ、オルゴールを鳴らした。
胃ろうの食事の与え方を覚え、入れりゃ当然出る訳で(笑)オムツ交換を覚えた。
そう!「植物人間」ってテレビドラマでは綺麗に描かれてるけど糞もすればゲロも吐く(下品でごめんなさいm(__)m)
オムツ交換だけは大変だったな〜。
何しろまだ80キロ近くあった男を40キロも無い私が体位を変え、尻を拭き新しいオムツに替える。多分生きてて一番恥ずかしいであろう姿を他の人に長い間見せるのは可哀想だと思い、必死で習得したあの頃……
私は責任と緊張からか三度、過呼吸の発作を起こして倒れた。酷い頭痛と脚が震えて歩行困難になり手の指は変形した。車椅子で主人の病院から別の病院へ搬送された。

「ストレスで人は死ぬ」
イケメンの脳神経外科の医師の言葉の意味が良く分かった。
だから未だに看護師さん、介護師さんは尊敬して止まない。コロナ禍を体験したから尚いっそう、感謝と尊敬の念を抱いている。

主人を一人で車椅子に乗せられるようになると毎日、病院内を散歩した。
朝の8時から夜の8時まで、看護師さんや介護師さん達は私のことを「病院に住んでるね」と言って笑ってくれた。


あの日も主人の車椅子を押して病院内を散歩している時だった。

「あんな人を生かしているから、悪いだよ!!」


歳老いたしわがれた大きな声が聞こえた。
私は辺りを見回した。車椅子に座った一人のお婆さんが私と主人を見据えていた。
「えっ?ひょっとして主人のこと?」
(少し認知症が入っているのかな?)
最初は、そう思った。

「あんな人を私達の税金で生かしてるから、私達の医療費が上るだよっ!年金も下がっちゃうしさ〜」

主人と私がお婆さんに何か悪い事をしたかのように何度も罵倒された。
そのお婆さんはリハビリ仲間の間でボスのような存在だったから、決して呆けてはいなかった。

「すみません、すみません」

何度も何度も謝って、散歩のルートを変えた。
「生きていてごめんなさい」
「すみません、すみません」
主人の闘病中、何十回も何百回、何千回、何万回も謝り続けた。

確かにそうなのだ。お婆さんの言っている事は正しい。主人一人が生きる為に一年間で何千万円かの医療費を国が負担してくれる。勿論、私も何百万円かは支払うが……
あの日から主人の存命中、私は謝り続けた。


でもね、でも、お婆さん…


「sannちゃ〜ん、みかん貰って来たよ!」
得意気に玄関に破れたスーパーの袋が置かれた。
中には汚い不揃いのミカンが沢山入っていた。
主人は元気な頃、水道事業を営んでいた。

「なぁ~に?これ?」
「今日ね、近所のお婆さんの家の水道を直してあげてね、お金要らないよって言ったら、代わりにくれた(笑)」
庭に生えた樹からお婆さんがハサミで切ってくれたのだろう。
「えーー、それって結構な工事じゃない!お金もらわなかったの?」
「だって、お婆さん、お金失さそうだったからさ」
「全く〜」
「いいじゃん!また明日、俺が一生懸命働くからさ」
主人は、そんな人だった。

困っている人が居れば、真っ先に手を差し伸べ、自分より弱い人は支え続けた。
そして私は主人が人の悪口を言っているのを一度も聞いた事がない。

人を羨むな
人を憎むな
人を蔑むな

主人は、よく私に言った。
正にその通りに生き抜いた人だった。

それでも病気になれば、これだけ形見の狭い思いをしなければならない。

「あんな人を生かしているから、悪いだよ!!」

お婆さんの目に主人はゾンビのように映ったのかもしれない。当時、真っ暗闇の中に居た私にあの言葉はキツかったなぁ~。

「すみません、すみません」
「生きていて、ごめんなさい」

謝る事しか出来なかった。

そうだ!私は、あの時、お婆さんを恨み憎んだんだ。
「なんて常識のない人!」
と蔑んだんだ。主人が最もしてはいけないと言っていた事のうち二つを見事にしていたわけだ。

でも、あの酷い罵倒があったから
「何クソっ!」
「この人を私が治してみせる!」
と頑張れたのかもしれない。
長い長い時間が経って、憎しみも蔑みも風化され、ただの苦い想い出に変わった。


結局、私はこの長い駄文で何が言いたかったのだろう(笑)
あぁ、一つだけ言いたい事があった。

今、病気で苦しんでいる人、障害のある人、重病人や認知症の家族の介護をしている人……
何もしてあげる事が出来ない私だけど、これだけは声を大にして言える!

どうか堂々と生きて下さい!!

私のように謝り続ける生活なんてしないで、堂々と胸を張って生きて下さい。

「生きる権利」は誰にでも平等にあるはずだから…
うん!
「生きてちゃダメ」って言われた主人が生きててくれただけで、勇気や元気を貰えた人が少なくとも此処に一人居る(笑)




※渡辺健一郎様の素敵なお写真をお借りしました。
ありがとうございました。

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