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「あるスナックの戯言」無駄になった話

ごく普通の一般庶民が書きました。
不適切な表現がありましたら、お許し下さい。



ある暇な平日、殆どのお客様が帰り一人残った常連のYさんとひょんな事からLGBT法案可決の話しになった。
私は主人の介護中に障害者への偏見を目の当たりにしてきた事もあり「性的少数者へのマイノリティー理解の改善」を推奨するこの法案が通った事にはもちろん賛成だった。お客様…と言うより知人にもジェンダーの方がいらっしゃる。
どんな人でも「生きやすい」世界を創ることは、良いことに違いない。

身体と心が違うという性同一性障害に苦しんだ人の一生を思うと想像の域でしかないが、どんなに辛かっただろうと思う。

でも突然Yさんは言ったんだ。
「温泉にも入れるって事らしいよ」
「えっ?!ブランブランぶら下げて?」(失礼!)
「そう」
「……」

うーん、私は暫く考える。
Yさんは続ける。
「今ね、シングルマザーが小さな男の子と一緒に温泉の女風呂に入っても嫌がられる時代だからね…そっちはダメで、こっちはいいんだっていうの問題じゃない?」
「それはそうだよね…」

でもジェンダーの人に何の罪もない事は私達は分かっている。

一概にジェンダーと言っても、色々なタイプの人がいる。生まれ持った身体のまま同性同士(この表現は適切ではないかも)で愛し合いたいのか、健康を害する事になっても手術をして本来の性の身体になって愛し合いたいのか。
はたまた極少数(だと思う)だが、両刀使いの人も居る。
私の知人は此方だ。表向きは立派な奥様とお子様が二人居る。
「温泉に入れる」なら、この両刀使いの人が女風呂に入ってくる可能性だってあるわけだ。
公衆の面前で襲われたりはしないだろうが、
そういう目で見られるわけだ。
どうなのだろう?

人間は
特に島国の小さな日本で我々は、
譲り合い他人を思いやり制限の中で生きていると思っている。

一つの例が「喫煙者」だが、何処へ出掛けても煙たがれ(喫煙者だからねw)肩身の狭い思いで「喫煙室」へ向かう。これは嗜好だからまだ仕方ない。

では車椅子ユーザーの人は、どうだろう。行動範囲も狭まわれバリアフリーを叫ぶ日本なのに映画館や球場など車椅子指定席でしか観ることが出来ない。
凸凹の道、階段、入りたくても入れないレストラン…制限の中で生きている。

私には「乳癌」で片方の乳房を取った友人がいる。彼女は私よりもずっと温泉が好きだ。
乳房摘出後も一緒に何度か温泉旅館に泊まった。私とは一緒に風呂に入るが、決して混んでいる時間帯に入ろうとしなかった。
自分の姿を好奇の視線に晒すのは、もちろん嫌だと言ったが、それよりも他人が楽しんでいるのを自分に気を遣わせて邪魔するようで嫌なのだと彼女は言った。
これも一つの譲り合いや思いやり、制限ではないだろうか。私は彼女の胸の傷跡は生きる為に闘った勲章だと思っているが…

ここまで書いてきて、果たしてジェンダーの人自身が自分の性に合った温泉に入る事を望んでいるのだろうかという事に気付いた。
国が推進すべきものは、そこではなくて性同一性障害の方の手術費用、ホルモン剤等の治療費の保険適用とかではないのかな。

温泉問題は温泉に任せてさ。
で、でも
そうなるとジャニーのような人も居るから、年齢制限までしなければならないか。
(てか、ジャニーは自分の嗜好の為に仕事を始めたのか、仕事がたまたま自分の嗜好に合っていたのか。卵が先かニワトリが先か?
これ考えると脱線し過ぎるから、やめておこう)
温泉旅館、温泉ばっかり作らなきゃならないじゃん(泣)ただでさえコロナで大変だったのに…


さんざん熱く語り合ったYさんと私にミユが後ろから声を掛けた。どうやらスマホで検索していたらしい。

「あのさ、LGBT法案通っても温泉は今まで通りらしいよ!」
「はっ?」

LGBT法案が通った事と「トイレ」「公衆浴場」とは別な問題らしい(滝汗)
「トイレ」や「公衆浴場」は、あくまでも見た目の「性」で選ぶらしい。
少しほっとすると共にまたデマに踊らされた一般市民酔っぱ〜、私達。
情けない、トホホ






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