文を書く才能はなくても、「書いたものを読んでもらうことが好きな子」にはなれる。
小学1年生の頃、学校の宿題に「日記」を書くことがあった。わたしの通っていた小学校は、毎年児童全員の作文を製本して文集を作るような、文を書くことに力を入れている学校だった。
そんな学校だったからだと思う。小学1年生の、ひらがなを全て習ったかどうかくらいのタイミングから、毎日「日記」を書いて担任の先生に提出することが当たり前になっていた。その日記帳には、毎日ひと言コメントが書かれていた。
「〇〇ちゃんと、公園であそんだよ」と書けば「楽しく遊べてよかったですね」、「妹と、ケンカをしたよ」と書けば「ちゃんと謝ることができて、えらかったですね」とかそんな感じ。こうやって毎日、先生が必ずわたしだけのためにコメントを書いてくれることが嬉しくて、ほぼ毎日書き続けた。
当時のわたしの日記は、難聴児特有の「きこえにくい音が多い助詞が抜けている」文だったり「聞き間違いをしてしまったせいか、正しくない単語」で書かれたものも少なくなかった。
例えば、「妹が泣きました」と書きたかったのに「妹の泣きました」と書いてあったり、「オルゴール」と書きたかったのに「オムゴオル」と書いてあったり。今読み返してみると、わたしでも自分が何を言いたかったのかよく分からないものも、たくさんある。
それでも担任の先生は、わたしの日記に大きなまるを書いてくれた。そして、わたしの文章に二重線を引いて訂正するなんてことはせずに、一言欄で「妹が泣いたんですね」とか「オルゴールを買ってもらえてよかったですね」とかサラッと正しい見本を示してくれた。
そんなこともあって、当時6歳のわたしは自分は書きたいことをある程度なんでも文章に書くことができると思っていたし、文を書くことはむしろ得意だとさえ思っていた。だから、毎日「日記を書く」という宿題は、好きな宿題のひとつだった。
多分、わたしが今このnoteのように自分以外の誰かが読める媒体で文章を書くようなオトナに育ったのは、初めて書いた文章をそのまんま受け止めてくれる人がいたからなんじゃないかと思う。否定されずに受け止めてもらうって、本当に大切なことなんだな。
前述のとおり、今読み返してみると結構みるも無惨な文章で、気付いた頃には、日記をノートに書く前に下書きをするようになった。そして、真っ赤になるくらい母から赤入れされて、清書したものを日記帳に書くようになった。
中学生くらいになると国語の時間に文法について踏み込む授業が増えてきて「てにをは」が分からないわたしは、どうしてここには「を」が入ってどうしてここには「は」は入るんだろうと首を傾げて、分からなさすぎて泣いていた。
いまだに、このnoteを書きながらも「〇〇 類語」と検索したり、書きたい文章と似た文を今まで読んだ本の中から引っ張り出してきたりしながら文章を書いている。だからわたしの文章は荒削りだし、努力でなんとか書いているところが大きい。つまり、文章を書く「才能」はそんなにない。
それでも、文章を書くことは相変わらず好きだし、自分の書いた文章を誰かに受け取ってもらえると嬉しいなと思う。多分それは、日記を書き始めた頃に必ずわたしの文章を読んでリアクションをくれた担任の先生がいたから。
自分の書いた文を読んでくれる人がいて、それに対して何かを感じたことをリアクションとしてもらうことが「うれしいことだ」と知っているから、このnoteというプラットフォームを「使いやすい」と思えるんだと思う。
この文章おもしろいなと思ったときはポンっと♡でスキを伝えることが多い。手軽だし、わたしの中では本当にスキだと思うからクリックしている。でも6歳の頃、担任の先生から返却されるノートにまるしか書いていなかったら、多分ここまで文章を書く人にはなっていなかったと思う。(実際に、先生が忙しかったであろう日はまるだけの日もあって、かなりテンションが下がっていた)
だから、いいなと思ったnoteや記事は、ちゃんと引用ツイートしたりコメントしたりしながらちゃんとリアクションしていきたい。実際にわたしも、引用ツイートやコメントをいただくと、「明日もnote書こう」と結構やる気になるし。
好きなクリエイターさんには、これからも文章を書き続けて欲しい。だから、「次の記事も書きたいな」と思い続けるきっかけにわたしがなれる可能性がほんの一ミリでもあるのであれば、応援の気持ちを言葉にしていきたいな。
見に来てくださりありがとうございます。サポート、とっても心の励みになります。みなさまからのサポートで、わたしの「ときめき」を探してまたnoteにつらつらと書いていきます。