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我が家のトクベツな「あたりまえ」

幼いころのわたしは「パーティ」と名の付くものが好きで好きでしょうがなかった。
「誕生日パーティ」「クリスマスパーティ」「おひなまつりパーティー」……。

とにかく何かとかこつけて「パーティ」をしたがったわたし(と妹たち)は、「パーティノート」なんてノートを作って、企画を練り、司会台本を書き、招待状まで作成していた。

冬になると、クリスマスにお正月、父もわたしもすぐ下の妹も冬生まれだから誕生日……と「パーティ」が続く。
そのスタートを切るのが、10月15日にある母の誕生日だった。

わたしたちの「パーティ」は、はじめの言葉からスタートし、歌や合奏の発表があったりみんなでゲームをしたりと、とにかく盛りだくさん。

それでも、子供の手でできることには限界がある。

基本的に、ピアノが得意な母がピアノ伴奏をしてくれたりゲームのアイデアをくれたりして「パーティ」が企画される。
でも、今回はそうはいかない母の誕生日。

毎年毎年、1ヶ月くらい前から企画を立てて、構想を練ってはノートに書き出していた。

本当は母をわっと驚かせたいのだけれども、現実は
「ママの好きな料理、作っていいよー」
なんて母に頼みごとばかりしてしまう誕生日パーティ。

それでも毎回
「誕生日パーティをしてくれてありがとう。ママは嬉しいよ」
そう言ってニコニコと喜んでくれていた。

わたしたちは、母が喜んでくれたことはもちろん、自分たちでこれだけのパーティを成功させたことが嬉しくてたまらない。
そして、このパーティでやりたかったけれど自分たちの手では実現できなかったことを、クリスマスやその後の誕生日パーティで披露していく。

月に1〜2回のイベントをコンスタントに企画運営していた小学生も、気付けばみんな大学生になった。
バイトで稼いだお金を使って、妹たちとお金を出し合って、自分だけでは手が出ないプレゼントを用意したり、旅行に招待したり。

気付いたらあの「パーティノート」は何処かに行ってしまったけれど
(小学校高学年くらいの頃には、ノートの担当者をイベントごとに交代していたはずだから、もはやノートが誰の手に渡ったのかさえ定かではない)相変わらず何かを祝いたいというパーティ精神はあるみたいだ。

これから先、どんな場所でどんな風に暮らしていくのかなんてまだ分からないけれど、ひとまずこの特別な「あたりまえ」の慣習を愛おしんで生きていたい。

今年も母の誕生日がやってきた。
さぁ、今年もパーティシーズンの到来だ。

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