マガジンのカバー画像

音の世界と音のない世界の狭間で

109
聴覚障害のこと。わたしのきこえのことを、つらつらと。
運営しているクリエイター

#旅しゃぶ更新部

水色のスモックを着た3歳の女の子は。

水色のスモックを着た3歳の女の子。砂場で黙々と1人で遊んでいる。ふと周りを見渡すと、誰もいない。 「なんでだろう。。。」 そう思って教室へ視線を向けると、同じクラスの友達たちが室内で制作をしていた。 なぜか忘れられない記憶の断片。 幼い頃から耳がきこえにくかったわたしは、たぶん、遊びの終わりの合図がきこえなかったんだと思う。それに加えて遊びに夢中で。教室に帰ることができなかった。 今思い返しても、ショックだったとか寂しかったとかそういう感情が湧くわけではなく、ただそんな記

フライトログノートを重宝するワケ。

この飛行機は、機長〇〇、チーフパーサー△△…… 到着地の天気は、××。気温は摂氏…… 飛行機で必ず流れるこういう機内放送の情報、みなさんは意識して聴いていますか? わたしは、まだ聴力が今よりも良かった頃に聴いた覚えがあるけれど、正直そんなに真面目に聴いた記憶はありません。(あ、でも現地の天気や気温は大事だったかも) 旅が好き。飛行機が好き。 こんなわたしだけれど、機内のアナウンスは音としては認識できても声として認識できるかというと微妙なところ。もしもの緊急事態が起こっ

アップルマティーニ

食事を終え、ケーキを食べる。 ふと、隣の席に目をやる。 カップルが、グラスにちょこんと入った、かわいいピンク色のお酒を飲んでいる。 かわいすぎる。めっちゃきになる。 いてもたってもいられなくなったわたしは、笑顔の素敵な店員さんが白湯をサーブしてくれたタイミングで、母から店員さんに隣のカップルのお酒の種類を尋ねてもらった。 母とひとしきり会話を終えた彼女が、わたしの方を振り向いた。 そして、わたしと目があったことを確認してから 「アップルマティーニですよ。」 とはっきりと

#ときめく写真の作り方

文と絵をひとりでかく場合 文と絵の関係は まんじゅうの皮とあんこの関係に よく似ている。 (長新太) 大好きな絵本作家、長新太さんが『つみつみニャー』のあとがきでこんなことをおっしゃっていた。 今年の七夕にnoteをはじめたわたしは、一日一記事更新を続けて明日で130日目。もともとは、「書いて書いて考える」ひとつの手段だった写真。でも、長新太さんのこのあとがきを読んで、せっかくなら美味しいおまんじゅうを作りたいと思ったんだ。そこで、アイキャッチや記事中の写真とのバランスを

分かったふりにも、下準備が必要で。

自己紹介でお決まりのこの文句が、わたしの周りの空気を凍りつかせることが、そう少ない頻度で起こる。 というのも、そう尋ねられた先の右耳は全く聞こえなくて、左耳には白い補聴器がちょこんと引っかかっていて。そして、今まさにこの会話を相手の口の形を読み取りながら理解している聴覚障害者のわたしが、そこに存在するからだ。 だから、そんなときこそ「これはチャンス!」とばかりにiPhoneを操作してSpotifyの画面を見せる。 ちなみにどうやって音楽を聞いているのかというと、補聴器と

東京の片隅で、紫陽花が爆発的に増えた。

今年はやけに、紫陽花がたくさん咲いている。 同じ都内でも、去年の今頃は埼玉寄りに、今年は千葉寄りに住んでいるからだろうか。とにかく紫陽花をよく目にする。 紫を中心にピンクや青の小さな花が集まったそれは、梅雨のじめじめした季節をパッと明るくする上品な花で。「藍色が集まったもの」と意味する「あづさあい(集真藍)」がなまったものが語源だと言われているらしい。 去年のちょうど今頃。日本中にはじめて「緊急事態宣言」なんていう物々しい名前の宣言が出され、スーパーの入店制限、学校の休

聴覚障害者のわたしが、大学の講義で実際に利用していた6つの情報保障

「情報保障」という言葉をご存知ですか? 情報保障とは 障害のある人が情報を入手するにあたり必要なサポートを行うことで、情報を提供すること。聴覚障害者への情報保障は、手話通訳、要約筆記、PCテイク、筆談や字幕を指すことが多いです。(ミライロHPより) わたしたち聴覚障害者は、相手の口の形を読み取ったり手話を読み取ったりと音声情報を視覚情報に変換して話を理解しています。 そのため、前回「聴覚障害があるけれど大学院修士課程を修了したわたしが、ノートテイクを受け始めたきっかけ。

聴覚障害があるけれど大学院修士課程を修了したわたしが、ノートテイクを受け始めたきっかけ。

「ノートテイク」をご存知ですか?これは、聴覚障害者に対する同時筆記通訳、つまり「耳の代わり」をすることです。 わたしは、大学と大学院の6年間、「ノートテイク」を受けながら講義を受けていました。今回は、「ノートテイク」を受けることになったきっかけのお話を紹介します。 はじめて情報保障を受けたのは、大学一年生のとき 右耳が生まれつき重度難聴のわたしですが、左耳は高校2年生くらいまで軽度難聴でした。そのため、幼稚園・小学校・中学校・高校とろう学校ではなく一般の学校で過ごしてきま

聴覚障害者のわたしが実践している!映画を楽しむ5つの方法

映画鑑賞が趣味、という方は多いのではないでしょうか。かくいう聴覚障害のあるわたしも、ふと時間ができたタイミングに映画鑑賞をすることが、よくあります。 ところでみなさんは、聴覚障害者がどのようにして映画鑑賞を楽しんでいるかご存知ですか?今回は、聴覚障害者のわたしが、実際に映画鑑賞をするときに実践している方法をご紹介します。 補聴器は、機械音声を聴き取ることがニガテです。 わたしは、左耳の聴力が活用できるため、左耳に補聴器を装用して生活をしています。前回の記事のように、日常会

【筆談のススメ】聴覚障害者がレストランでの食事をさらに楽しむためには?

聴覚障害者が聴者とレストランに行くときに、どんな工夫をしているか知っていますか? 聴覚障害者と一緒に食事に行くとき、お店に聴覚障害者が来るとわかったときに、どんな対応方法があるか知っていると、お互い気持ちよく食事の時間を過ごすことができますよね。 聴覚障害当事者のわたしは、いつも「筆談」をしています。誰にでもできるけれど、ちょっとした心配りと準備があるだけで、さらに周りがあったかい気持ちになれるのではないでしょうか。 聞こえる友人と一緒だからこそ、「筆談」を幼稚園から大

きこえにくいからこそ、「そこに行きたい」ただそれだけの理由で空を飛べるのかもしれない。

世界を旅するたびに、ふと感じることがある。わたしたち聴覚障害者にとっての海外旅行って、日常生活の延長でしかないんじゃないか、と。 わたしは自分のきこえを説明するときに、よく海外旅行を例に出す。 「わたしの耳は全く聞こえない訳ではありません。音としていろんな音は入ってくるけれど、相手の声を【言葉】として認識する点で困り感があります。 例えるなら、あなたがアラビアの国にポンと送り込まれて、アラビア語の嵐を耳に入れ続けるようなものです。音として耳には入ってくるけれど、言葉とし

マスクと、ソーシャルディスタンスと、日本語と。それでもわたしは、音のある世界をも大事にしたいから。

まぁ、そんなもんだよね。 友達と待ち合わせてカフェに入り、店員さんが放った 「感染症対策のため、お席は横並びでお願いします」 の一言に、特に憤るでもなく「しょうがない」それ以上でもそれ以下でもないと感じた。 もちろん、騒がしい店内で初対面のマスクをつけた店員さんの声はわたしの脳内には届かなくて、友達の復唱を頼りに知った一言なのだけれども。 聴覚障害と言っても人それぞれで。 わたしときこえは、左右でだいぶ差がある。 左耳は補聴器をつけていて、ある程度聴き慣れた人の声であ

こんなご時世だって、東京にだって、あたたかい場所はちゃんとある。 #余韻を味わう夏の果て

都会の喧騒を背に路地をちょっと入ると、どこにでもありそうな白いドアが立ちはだかっていた。 前回ここに来た日は、凍てつくような寒い日で。 ドアを開けた瞬間に、かじかんだ手と氷が張っているのではないかと錯覚するような顔が、ふにゃふにゃととろけそうになったな。 なんてことを、遠い昔のように思い起こす。 たった半年ほど前のことなのに。 ちょっぴり緊張しながら約束の時間まであと10分であることを確かめて、そのドアを開けた。 「こんばんは」 そう一言口にすると、懐かしい顔ぶれが

当たり前だけど、どこか当たり前じゃないこと。

何をそんな当たり前のことを。今更。 最初から「聴覚障害のあるわたし」と出会った人たち、たぶん、このnoteを読んでくれている人の多くは、きっとそう言うだろう。 でも、あなたがもし6歳の子どもを持つ親で、ある日いきなり病院で 「この子は右耳が全くきこえていませんね。今の医療技術では、きこえるようにはなりません」 なんて宣告されたら、どうだろう。つい数秒前まで「きこえる子」だと思って育ててきた目の前の我が子が「きこえない」と言われてもきっとピンとこないだろう。 それは、