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音の世界と音のない世界の狭間で

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聴覚障害のこと。わたしのきこえのことを、つらつらと。
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#旅と写真と文章と

水色のスモックを着た3歳の女の子は。

水色のスモックを着た3歳の女の子。砂場で黙々と1人で遊んでいる。ふと周りを見渡すと、誰もいない。 「なんでだろう。。。」 そう思って教室へ視線を向けると、同じクラスの友達たちが室内で制作をしていた。 なぜか忘れられない記憶の断片。 幼い頃から耳がきこえにくかったわたしは、たぶん、遊びの終わりの合図がきこえなかったんだと思う。それに加えて遊びに夢中で。教室に帰ることができなかった。 今思い返しても、ショックだったとか寂しかったとかそういう感情が湧くわけではなく、ただそんな記

待っていて、わたしがわたしをもっと好きになれるかもしれないから@益子陶器市

と口にして気付く。あぁ、今日のわたしはたった一瞬も「お耳が疲れた」と感じずに、今、この夕陽を眺めているということに。 聴覚障害があるわたしは、きこえやすい左耳に、白い補聴器をつけて生活している。この補聴器、昔と比べるとぐんと性能が上がったんだけれども、つけていれば眼鏡やコンタクトをつけてはっきり見えるようにいろんな音を聴き取れるのかというと、そうではなくて。 例えるなら、撮影した動画を再生したときのような感じで、周りの人の声だったり雑音だったりそんなものがブワァっと耳に入

分かったふりにも、下準備が必要で。

自己紹介でお決まりのこの文句が、わたしの周りの空気を凍りつかせることが、そう少ない頻度で起こる。 というのも、そう尋ねられた先の右耳は全く聞こえなくて、左耳には白い補聴器がちょこんと引っかかっていて。そして、今まさにこの会話を相手の口の形を読み取りながら理解している聴覚障害者のわたしが、そこに存在するからだ。 だから、そんなときこそ「これはチャンス!」とばかりにiPhoneを操作してSpotifyの画面を見せる。 ちなみにどうやって音楽を聞いているのかというと、補聴器と

「雨の音が聞こえたから窓の外を見る」ことと「激しく降る雨をみて初めて、その雨音が聴こえてくる」ことの狭間で。

「雨の音、すごいね。分かる?」 わたしの肩をトンっとたたいて、彼女はそう言った。窓の外を眺めると、雨の線がくっきりと見えるような豪雨だった。自分の目でしかとその様子を確認したのとほぼ同時に、わたしの耳に「ザーザー」と激しい雨が降りはじめた。 「……わかった。これは、すごいね。」 一度音として認識できると、そこから先は、わたしの世界にも雨の音が流れ始める。その雨はさらに強く地面に打ちつけた後、30分ほどで止んだ。 GWに地元に帰省したときのこと。大学時代からよく集まる友

身体障害者手帳ユーザー、新幹線コスパ最強説

夜中のテンションでポチッとしてしまった。 たとえば、ちょっと自分にはかわいすぎるようなお洋服、お取り寄せスイーツ、そして旅のチケット。特に国際線のチケットなんてものは、夜中のテンションじゃないと買えないような気がしている。 そういえば。航空券に至っては、わたしの記憶では、自分で購入するようになってからは一度も、オンライン以外の方法で購入したことはないと思う。それくらいオンラインでのポチッと購入が一般的になってきているというのに、わたしが唯一オンラインで購入できないチケット

自意識過剰、万歳。 #tokyo2020

あの日、オリンピックの開会式を中継したテレビ画面に、手話通訳者のワイプ映像が映らなかった。 ピクトグラムの演出で沸き上がり、長嶋茂雄さんが聖火を持って走る感動に包まれたあの開会式の最中、複雑な気持ちを抱えた人たちが、確かに存在した。わたしたち聴覚障害者の中にも、複雑な思いをもった人が少なくないだろう。 わたしの記憶の中で一番古いオリンピックは、2000年のシドニーオリンピック。当時わたしは小学1年生で、担任の先生やクラスの友達が「オリンピックだ!」という話題についていきた

補聴器とiPhoneが、はじめてBluetoothで繋がった日のこと 。

この日、zoomを退室した瞬間の余韻は、いつもの楽しさと疲労感ではなく、新しい気持ちだった。なんだかよく分からない温かさ、としか言い表す術がわからないんだけど、多分、わたしの心はとっても満たされていたんだと思う。 わたしには、聴覚障害がある。右耳は全く聴こえなくて、左耳に補聴器をして生活している。でも、その補聴器はナマの人の声を拾うために開発されたものであって、機械音にすこぶる弱い。 例えば、テレビとかラジオとかそんな類のものは、「音」としてはきこえるけれども「ことば」と

東京の片隅で、紫陽花が爆発的に増えた。

今年はやけに、紫陽花がたくさん咲いている。 同じ都内でも、去年の今頃は埼玉寄りに、今年は千葉寄りに住んでいるからだろうか。とにかく紫陽花をよく目にする。 紫を中心にピンクや青の小さな花が集まったそれは、梅雨のじめじめした季節をパッと明るくする上品な花で。「藍色が集まったもの」と意味する「あづさあい(集真藍)」がなまったものが語源だと言われているらしい。 去年のちょうど今頃。日本中にはじめて「緊急事態宣言」なんていう物々しい名前の宣言が出され、スーパーの入店制限、学校の休

マスクと、ソーシャルディスタンスと、日本語と。それでもわたしは、音のある世界をも大事にしたいから。

まぁ、そんなもんだよね。 友達と待ち合わせてカフェに入り、店員さんが放った 「感染症対策のため、お席は横並びでお願いします」 の一言に、特に憤るでもなく「しょうがない」それ以上でもそれ以下でもないと感じた。 もちろん、騒がしい店内で初対面のマスクをつけた店員さんの声はわたしの脳内には届かなくて、友達の復唱を頼りに知った一言なのだけれども。 聴覚障害と言っても人それぞれで。 わたしときこえは、左右でだいぶ差がある。 左耳は補聴器をつけていて、ある程度聴き慣れた人の声であ

音の世界と音のない世界の狭間で⑤

きこえない人あるあるだと思うんだけど、初対面の人に会うたびによくたずねられること。 あなた、ろう?難聴? どちらと答えても相手にがっかりされることがある。 。。。 どう答えるのが正解なんでしょう。 ちなみに、東京都聴覚障害者連盟のHPによると ろう者 ・補聴器等をつけても音声が判別できない場合 ・手話を母語もしくは主なコミュニケーション手段とする人 難聴者 ・残存聴力を活用してある程度聞き取れる ・音声言語が中心で手話を使わないか補助程度の人 とするらしい。