コンドルは歌われていく
前回の投稿では「コンドルは飛んでいく」の様々なインストゥルメンタル・アレンジを紹介してみた。
今回は歌入りのアレンジを紹介したい。
「コンドルは飛んでいく」の歌には300種類以上ものバージョンがあると推計されているが、元来はサルスエラ(zarzuela)と呼ばれる歌劇のためのオーケストラ曲の一部で、もともと歌詞は存在しなかった。
この曲が歌として知られるようになったのはやはり、サイモン&ガーファンクルが「El Cóndor Pasa (If I Could)」を発表したことによる。「コンドルは飛んでいく」には多くのカバーが存在するが、やはり世界的に主流なのはこのアレンジだろう。
一方、スペイン語圏ではそれと全く異なる意味の歌詞も存在する。
プラシド・ドミンゴを筆頭とするクラシック系の歌手や、非南米アーティストによるカバーでよく聞かれる印象がある。
歌詞の内容は一見他愛もない。夜明けに目覚めたコンドルが水を飲みに川へと向かう。その背景には若草で覆われた大地、花を咲かせた木々の枝、陽の光が輝く小麦畑が広がるといった写実的な描写がなされる。
ただ、2番に入ると少し様相が変わってくる。飛び去りゆくコンドルを目にした空が嘆き悲しむという詞が入ってくるのだ。これが単に、コンドルが大地へと向かって行ってしまうのを空が寂しがるという程度の意味で書かれているのか、もっと深い示唆があるのかはわからない。
興味深いのは、この歌詞を書いたのが誰なのか、検索しても今ひとつわからないことだ。ロス・インカスのJorge Milchberg(ポール・サイモンに「コンドルは飛んでいくは昔からアンデスに伝わる伝統曲だ」という嘘を教えた人)の名前がクレジットされている歌詞サイトも見かけるのだが、実際にロス・インカスがこの詞で歌っている演奏を探し当てることができない。
非南米人からすると、実に謎の多い歌詞なのだ。
もう一つの流れは、コンドルをはっきりとインカ帝国およびその皇帝の象徴として描き、哀惜するような歌詞。もしくはコンドルを先住民族の魂の象徴と捉え、民族の団結、自由、祖国への愛を歌うもの。テーマ上、フォルクローレ楽器を中心としたアレンジが多い。これはもう、色々なバージョンが存在するのだが、古典的スタンダードはおそらく以下の歌詞だろう。
サイモン&ガーファンクル版やスペイン語スタンダード版がフォルクローレ界で言われる「第一部」の旋律のみを採用しているのに対し、このバージョンでは「第三部」と呼ばれる部分の旋律にも歌詞が当てられているのが特徴だ。
「第一部」では失われたインカ帝国を嘆き、死にゆくインカ皇帝の魂を象徴するものとしてコンドルが描かれている。続いて訪れる「第三部」のパートで歌われるのは、先住民族の血であったり、「自由のために死ぬ」という母なる大地の教えであったりと、入植者による支配への抵抗を思わせる詞だ。Los Cantores de Quilla Huasiやクリスティーナとウーゴなど、かつて日本でもよく知られたフォルクローレグループはこの歌詞を使っている。表現に多少の揺れは見られるのだけど。
その他、様々な作詞家やアーティストがこの曲に独自の詞をつけており、スペイン語詞には非常に多くのバリエーションが見られる。コンドルを必ずしもインカと結びつけていなくても、現在の苦難を歌い、それに対して自由を象徴するコンドルの訪れを待ちわびるという点では幅広い共通性が見られる。元となったサルスエラにおけるコンドルの位置づけが踏襲されていると言えるかもしれない。
また、こうしたバージョンでは上記の「第一部」と「第三部」に加え、「第二部」の演奏にも詞が当てられているものがある。
では、ここからは上記の3系統に即して様々な歌唱アレンジを紹介していきたい。
サイモン&ガーファンクル版
大体のカバーはアコースティックな弾き語りに近く、概ね想像の域を出ない。なので、特に興味深かったもののみを挙げていく。
まず、パンク・ロックによるアレンジ。これが意外にイイ。
旋律をエレキギターで弾いてしまうと陳腐になる(間奏はそんな感じ)のだけど、パンクの歌唱がリズムとの相乗効果において良い意味で原曲のイメージを崩し、再構築している。
続いて、現地のミュージシャンがサイモン&ガーファンクルの歌詞で演奏を行う珍しい動画。こちらの方が世界規模で聞いてもらいやすいという打算めいたものを感じなくもないが、サイモン&ガーファンクル版もそれなりに南米で愛好されているのだろうか。(「あれは盗用だ!」とか、「本来の歌詞じゃない!」といった評価もしばしば見られる)
そして、サイモン&ガーファンクルに対して訴訟を起こしたアルマンド・ロブレス・ゴドイ(作曲者ダニエル・アロミーア・ロブレスの息子)が、その後サイモン&ガーファンクル版の歌詞を下敷きにして作ったという歌。実は、ダニエル・アローミア・ロブレス自身が書いた詞も存在はするようなのだが、息子はそれが今ひとつだと思っていたらしい。パフォーマンスのクオリティが微妙だが、頑張って聞いてみてほしい。
「カタツムリより雀になりたい」ではなく「雀よりコンドルになりたい」といった具合に、サイモン&ガーファンクルの歌詞をより南米の伝統や歌劇のストーリーに引き寄せているような印象だ。
検索してもこの歌詞に基づくプロミュージシャンの演奏が全然出て来ないので、現地での人気や知名度は息子の歌詞も今ひとつなのかも。
スペイン語スタンダード(?)版
続いては、(ネットで調べた限り)スペイン語圏でよく歌われているのではないかと思われる詞でのパフォーマンス。
やはり、筆頭として大御所プラシド・ドミンゴによるこれを挙げねばなるまい。
いやあ、この雄大さよ。やはり、この旋律を奏でる楽器としてケーナに比肩し得るのは唯一人間の声ではないかと思わせる。
次に紹介したいのがこちら。Esther Ofarimによる幻想的なカバー。先程とはガラリと趣を変えて、麗しく美しい。
インカ帝国への哀惜、支配と苦難からの解放
これはもう本当に色々ありすぎて挙げきれない。その中でも特に印象的だったカバーを中心に紹介しておく。
まず外せないのは古典。日本でも人気の高かったクリスティーナとウーゴによる演奏。先に述べた通り、コンドルを直接的にインカの魂と結びつけて歌う詞だ。
フォルクローレの女性歌唱はこれでもかというくらいのハイトーンで歌い上げるものが多い。
フォルクローレを基調に凝ったアレンジを見せるのがこちら。三部構成の全てに詞が当てられたもの。
インカには触れられていないが、暴力や戦争、悪徳に満ちた世から人々を愛と平和と自由の世界へと導く存在としてコンドルが歌われている。
ケチュア語版の歌唱もある。かなり最近の曲か。
ケチュア語はわからないが、スペイン語訳を見た感じだと、「コンドルよ、インカの同胞が待つ故国へと私を連れて行ってくれ」といった望郷の歌のようだ。詞が歌われるのは「第一部」のみだが、「第三部」のメロディーも声で奏でられている。
今回は様々な「コンドルは飛んでいく」の歌唱を紹介したが、実に幅広いアレンジと歌詞があるんだなあと感嘆を禁じ得ない。それだけこの曲は世界中で愛されているのだろうし、何よりも南米の人にとっては特別な歌なのだろうなとも思う。
実は日本にも「コンドルは飛んでいく」の様々なカバーが存在し、この曲の根強い人気が見て取れる。次回は「日本のコンドル」を見ていくことにしよう。
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