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In the mirror

ここ半年、英会話のオンラインレッスンをイラン出身でトルコ在住の先生に英語を教えてもらっていた。
授業内容は至ってシンプル、好きなネトフリのシリーズを一緒に同時期に追いながら、1話ごとの話の要約と感想、そこからのディスカッションを約60分間かけて行うといったもの。

習得、というよりも言語は体得。「伝えたい」という気持ちから発展してきた言語というツールを勉強するには、有効的だなと思う。

最近は、先生とブラック・ミラーのシリーズを一緒に追っていた。シニカルなSFアンソロジー。1話終わるごとに、「科学的にいつか起こりうる未来の中で、どこまで人間性を保てるか、どこに人間の本質があるか」ということをいろんな風刺を交えて考えさせられる。こんな哲学的なことを英語で、しかもイランで育ちトルコ住みの人とどこまで分かり合えるのか、どこかでぶつかるのか、最初のうちはドキドキしながら毎回自分の意見や考えを用意していた。

蓋を開けてみれば、ぶつかることは一度たりともなかった。毎回、話せば話すほど、不思議なほどに根幹的な部分で必ずお互いの意見の「理解」に到達する。こんなにも生まれた場所や人生、言語、概念が違う中でも、人間というのはしっかり「種族」なのだと実感させられる。人は鏡、というのは本質的なのかもしれないと思うこともあった。もちろん、先生の寛容さもあって成り立っていた部分も大きい。

そんな先生から、『何か叶えたい夢はある?』と聞かれた。私は具体的な夢が思いつかなかったので、先生は?と聞き返すと『アメリカに行きたい』と返ってきた。アメリカとイランは昔から対立している上に、今まさに戦火へ飛び込んでいる。なぜ、と返すと『僕はアメリカのドラマが好きで、英語を覚えた。英語は自分のフィールドを広げてくれたし、アメリカは自由意志を尊重してくれる国だ。政治的な側面では嫌いだが、死ぬまでに行ってみたい。イランとアメリカが友好関係になって入国許可が降りたら、行きたい。政治はただの富裕層のゲームだ。君がもしイランに一度でも入国したらアメリカで簡単に入国できなくなるほど、イランは厳重警戒されている。わかっている。でも一度でいいから、ニューヨークを歩いてみたい。映画の世界を生きてみたい』と言われた。

私の手元にあるこの赤い10年パスポートは、世界各国のフリーパスとすら言えるものだ。彼の歩きたい道を歩ける。簡単に叶えてしまう。彼にとってはウィリーウォンカの金のチケットだ。

私は「いつか行けるといいね」と返し、それ以上の言葉に詰まった。生まれた場所、というのは選べない。同じ種族だとしても、振り解けない宿命がある。皮肉だ。

画面の向こう側にある人生はこんなにも違う。
人は鏡じゃなかった。感じることがどれだけ似ていてもだ。
ブラック・ミラーはその皮肉さをより濃厚に感じるドラマシリーズである。
ぜひ1話からみてみてほしい。

さて、ここは交換日記の場でもあるので次の人への小さな質問を一つ!
【もし宇宙に行ったら何をしてみたい?】

この記事を書いた人:ガキ


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