やさしくありたい

戸惑いを隠せなかった昨日の光景について

昨日コロナウイルスの感染拡大に伴い、政府から緊急事態宣言が出された。未曾有の事態だ。誰も先行きが分からない。見通しが立たない。

ボクも日々、不安が募っている。家庭内でも妻と情報を交換し、いつも以上にこれからの家族の在り方について話し合っている。

糸井重里さんがほぼ日の「今日のダーリン」でも書いていたように、ボクも”コロナ情報依存症”だ。テレビでのニュースは朝と夜しか見ないようにしているけども、気が付けばスマホをいじってヤフートピックスを見ている。そのたびに感染者数、死者数、現状に一喜一憂している。

昨日はWHOからマスクに関する見解が出た。医療従事者に行き渡るようにとのことだが、本当にボクらはマスクをしなくてもいいのだろうか?WHOには懐疑的な声、批判が殺到していると思うけど、彼らも万能ではない。分からないことだらけなのだと思う。だから、見解が変わることもあるだろう。そう考えて冷静にニュースを見るようにした。簡単に情報にアクセスできる時代だからこそ、なにが真実かをしっかり見極められるようにしたい。

シニアの行動に呆然

自粛要請が出され、自粛ムードが高まっている。図書館も例に漏れず、業務を縮小しながら運営していた。おそらく在宅時間が長くなっていることで、家で読書をして過ごす人のために開館している部分もあるのだろう。不特定多数の方と接触しなければならない司書の方には感謝のコトバしかない。

その一方で、図書館の外ではシニア層が集まって花見をしていた。ボクが住んでいる地域は警戒地域ではない。感染者の足跡も追えている。爆発的な拡大は低いとされている。それでも花見をしているのは、どうなのだろうか?低いとされているのは、あくまでも現時点での話だ。状況は刻刻と変わっていくだろう。

若者への外出自粛要請が声高に叫ばれるが、それを見聞きしているシニア層は他人事なのだろうか。それとも、自分は感染しない、ウイルスを持っていない、と思っているのだろうか。

図書館に本を借りに行くことも不要不急の枠で見れば必要のないことなのかもしれない。濃厚接触はなくとも、接触感染のリスクはゼロではない。でもやっぱり、お花見は違う気がする。マスクをしているから。お花見の後はうがい、手洗いをするから。そうした発想だったら、少し甘く見ているのではないだろうか。

あるいは、非常事態宣言が出る前にお花見をしてしまえ、と考えたのだろうか。そうであるならば、すごく恐ろしい。結局は他人事。大都市圏で起こってる、テレビの中での出来事と捉えてはいないか。

お花見をやめて自宅待機をなさいませんか?みなさんで集まらずに、散歩しながら今年はサクラを眺めませんか?そんなコトバを掛けられなかった自分が情けなくもあるが、ボクよりも人生の先輩にあたる方たちには、現状を鑑みて節度を持ち、適切な行動を取ってほしかった。

独りよがりではない考え方、行動、発言を心がけたい

そんなことを思いながら用事があったので車を走らせていると、ドラッグストアの前に長蛇の列ができていた。マスクの入荷を待つ人たちだ。数に限りがあったらしく、ほとんどの人が買えずに店を去っていった。

昨日のお気楽な光景と、今日のひっ迫した場面のコントラストに、ただただ戸惑うばかりだ。冷静でいようと思うけど、なかなか正常ではいられない。それでも、ボクと、ボクの家族は、やさしいくありたい、と思う。

開店前からマスクを買い求める人を蔑んだり、買い占めに走る人を異常だと思ったり、自粛すべきことをやっている人がいたりしていても、みんなにやさしくなれる考え方、行動、発言をしていきたいと思う。

ボクは深刻に受け止めすぎているのかもしれないけど、もう少し現状を把握してよく考えてみませんか?とも思う。押し付けではなく、あくまでも提案です。自己責任というコトバが聞こえてこないことを願っています。

おもいのままに。続けます。今日も呼吸ができた。ありがとう!

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