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「夢幻回航」6回 酎ハイ呑兵衛

山田正広は世機と沙都子と別れた後に、デスクに戻って残務に取り掛かろうとしていた。
「やる気でねぇな」
などと言いながらティッシュでスマホの画面を拭いていると、メールの通知が表示されているのに気が付いた。
確認してみると、発信元は先ほど調査依頼をした相手だった。

『中村紅葉(なかむら もみじ)永遠の18才おとめ座B型尽くすタイプです』
メールの下にある定形の挨拶文にはこの様な自己紹介が掲示されていた。
本当の年齢を知っている山田は、彼女からのメールにあるこの文章には毎回吹き出したいのを堪えるのが一苦労だった。
中村紅葉は沙都子と同年代である。
ただし見た目はひじょうに若く見えた。
18才で通用するかどうかは、見る者の主観とでも言うか、好みと感覚的なものもあるだろう。
どう言うことかというと、18才よりも幼く見えるのである。
合法ロリと言う言葉が適切かどうかは分からないが、小柄な上に華奢で童顔、それが中村紅葉の容姿だ。

本人は自分の見た目を充分に解っている上で、カラーウィックやカラーコンタクトなどを使ったりしてそれなりに可愛らしく着飾ったりするものだから、始末が悪いのだ。
山田などはたまに仕事で一緒に歩いていたりすると、父親扱いされたり、もっと酷いときには警官に呼び止められる事もある。
山田はそういった事を含めて彼女のことをかなり気に入っていた。
中林紅葉は変わり者では有ったが、頭の切れる女性である。
その点も山田の感性に触れるところである。

メールの内容に目を通す。
中村紅葉の調査の仕方は現代人らしく、まずはネット上の情報から収集にかかる。
そして気になったものを実地で調査していくのだ。
今回のメールはネット上の情報をまとめたものである。
協会も連盟も非公式の組織ではあるし、あまり世間に知られているものではない。
だが、術者仲間にはそれなりの噂の伝達法がある。

連盟も協会もお互いに少しずつではあるが、情報を漏らしているのである。
互いに公式な交流はないのだが、そういった情報交換は、ある程度は出来ている。
今回はそういった非公式情報のまとめと言ったものだろう。

メールにはこうあった。

小林氏の事件には協会の術者が関係しているようです。
名前はまだはっきりとはしませんが、小林氏は個人の伝を使って、協会にもガードを依頼していたらしいのです。
協会は里神翔子の関与も承知で、十分な準備をして対処しているようなので、連盟に手を引けと言ってきているようです。
中村紅葉のメールは、簡単ではあるがそう書いてあった。

まずは何時もどおりのありきたりな報告に、山田正広は笑うしかなかった。
彼女の流儀である。
まずは調査に乗り出してくれたことに安心しておこうか、と、山田はスマホを机の上に置いた。

里神翔子は自分の部屋に帰っていた。

なぜだか夜羽沙都子との戦いを思い出した時に、自分の修行時代を思い出していた。
沙都子の性格と自分の性格や戦い方が似ていると思えたからかも知れない。

彼女は夜羽沙都子に興味があった。
仕事で、敵同士でなければ、会って話をしてみたい存在だと認識していた。
もっと言えば、こんな出会いでなければ、最も良い友人になれたであろうものを、そう思うと、なんだかほんの少しさみしくもある。

インスタントのコーヒーをいれて口にする。
里神翔子は酒を飲まなかった。
飲んでも、昔の悪い思い出のために酔うことの出来ないということもあったし、酒を飲んだらいざという時に戦えないという不安感から、里神翔子は酒を飲まないのだ。

リラックスしたいときは、コーヒーか紅茶を好んだ。
殺伐とした人生に花でも添えたいのか、カップは女性らしい華やかなデザインのものだった。
里神翔子は、ゆっくりとカップを口に当てて、コーヒーを少しだけ口の中に流し込んだ。
そしてため息を漏らした。

彼女はたまにではあるが、自分にはこんな人生以外にももっと別の可能性があったのではないかと思うことがある。
今ではテロリストに協力したり、闇の世界で動いているなどの噂の絶えない彼女だったが、はじめからそうであったわけではなかった。
今のようになったのは、理由があるのだが、彼女自身あまり思い出したくもないと思っていることであった。

里神翔子は沙都子との戦闘時の事に思考を振り分けた。

あの女、格闘術はわたしの方が上だった。
だけどセンスは悪くないし、術のセンスはどうだろう。
今回はこちらの奇襲だったが、対等の条件だったらどうなのかな。
次にやったとしたら、わたしが圧勝するけれどね。

沙都子の実力を認めたとかそう言ったことではなく、これは彼女のいつも抱いている覚悟である。
沙都子の実力なんて、たった数十分の戦いだけでわかるものではなかった。
相手が沙都子ではなく、まったくの素人ならば、立ち合っただけでも実力はわかる。
相手との実力差があればそれだけでもわかるものである。
ただ、今回、夜羽沙都子と名乗った彼女と対峠したときに感じたのは、負けるという感じがしなかったのと同じくらいに、勝てるという自信も湧いてこなかったのだ。
実力が伯仲している?
あの技や体術の使い方を見ていると、とてもそうは思わなかったが。
だとすればあの戦いからはわからないポテンシャルが、彼女に隠されているのだろうか。

翔子はコーヒーをほんの少し口に入れて、また考え始める。
沙都子との戦いは今回初戦だったこともあり、様子見、偵察の意味もあった。
なめてかかっていた。
よく調査しないうちから、相手の手の内を見てみようという気持ちがあったのは認める。
相手がここまでの感触を与えてくるとは思っていなかったのだ。
こんな感触は初めてだった。
力押しをしていたら勝てたかもしれないが、でもやっていたら柔らかく受け流されそうな感じがした。
自分とはタイプが違うのか。
攻撃主体型の自分と違うタイプということは、防御型、受け流して攻撃するようなタイプなのだろうか。
記憶に留めつつ、これ以上考えても始まらないなと思考を追い出して、仕事の段取りを確認してから、帰り際に購入したとんかつ屋のテイクアウトであるスペシャルとんかつ定食大盛りをひろげた。
「肉体労働をしたあとはやっぱり肉よね」
独り言を言って、美味しそうにカツを口に運ぶ。

吉住猶は大きく身を乗り出して、沙都子の話を聞いていた。
沙都子は吉住猶のことを訝しがり、スパイなのではと疑っていた。
反面では意気投合したらしく、修行時代の話など披露していた。
吉住猶も聞き上手のようで、次々と過去の話を沙都子から引き出している。

「実はわたしも世機も小さい頃に親を亡くして、妹の槇と一緒に先生に引き取られたのよ」
「そうなんですか」
猶はまるで憧れのスターの身の上話を聞くファンのように、本当に興味深く聴いているようだ。
沙都子も調子付くわけだと、世機も猶の聞き手としての上手さに感心した。
世機もまだ、猶のことを疑っていた。
猶が現れたタイミングも良すぎるし、何を考えているのか得体のしれない里神翔子のような敵の存在もある。
仕事から手を引けと言われているし、お金にならないとわかっている事件に、自分から調査をするような馬鹿な真似はしない。
世機もそういったところは心得ている。
彼らだって正義の味方じゃないから、タダ働きはしないのが心情である。

世機はそんな考えを抱きながらも、何気なく視線が猶の襟元から覗く胸の谷間に視線が行ってしまった。
瞬間に、テーブルの下で沙都子の蹴りが世機の膝にあたる。
何事もなかったように沙都子と猶の会話は続いている。

中村紅葉は三角耳を自作してフードに取り付けたピンク色のパーカーを着て、パソコンの画面を見ながらキーボードを叩いていた。
先に書いたように中村紅葉の調査はパソコンを使うところから始まる。
真偽はともかく噂話の類から集め始める。
ネットを使って調べるだけではない。
独自の調査網と調査のためのノウハウや術を駆使して、事件や人物を調べ上げてゆくのが彼女のやり方だ。

中村紅葉は術者であると同時に名うてのハッカーでもある。
使っているパソコンも、個人が使うにはかなり高性能で高額なものを使用していた。

CPUだけではなくディスプレイにもこだわりがあって、高精細だが小さめの21型のワイド液晶を3台つなげて使っていた。
トリプルヘッドディスプレイである。
中央にメインの情報を映し、右の画面にどこから手に入れたのか、山田さんの変死体と調査書類の映像が映し出されていた。

彼女が術師になったのには、他の者たちとは少々違った事情があった。

中村紅葉もやはり世機や沙都子と同じに孤児ではあったが、はじめから術師として育てられたわけではない。
紅葉は幼少時代に軍事スパイのための訓練施設に誘拐されたのである。
子供の頃からスパイとしての訓練を受けて、体術や調査術とハッキングの技術を叩き込まれた。
2歳のときに拐われて、14歳まで訓練は続けられた。
そして彼女が14歳のときに初任務が与えられた。

その時の任務というのが、その後の彼女の人生に大きな影響を与えたのだ。

任務というのはある国の重要ポストにある人物の、性的な籠絡である。
つまりロリコン相手にハニートラップを仕掛けるというものだった。
彼女の役目は相手と性交をして、仲間に証拠の写真や動画を録画させるというものだった。
もちろん彼女は拒否したが、薬を使われて、催眠術などにかけられて、人形のように扱われて、任務につかされた。
彼女の容姿は先に書いたようにかなりの美少女である。
それでこのような任務に宛てられたのだ。

相手の男はかなり鍛え上げられた肉体の、大男であった。
肌の色や人種までは彼女の記憶からは欠如してしまっていたが、薬漬けでなくても逆らいきれる体力差ではなかった。
薬や術で自由を奪われていたこともあり、泣き叫んで抵抗することすら出来なかった。
服を引き千切られて押し倒されて処女を奪われた瞬間に、彼女の術師としての才能が発露したのだ。

彼女は薬と催眠術でがんじがらめにされて、叫ぶことすらできなかった。
だが意識はあったから、心が弾けて、それと同時に相手の男の体が弾け飛んだ。

肉片が部屋中に飛び散り、ベッドのシーツや毛布、彼女の破れた服に、彼女の白く柔らかな肌にも、男の肉片がこびりついた。
血の匂いがこもった部屋に、肌についた肉が、まだ生暖かい感触を伝えいてくる。
如何に訓練されていたとはいえ、彼女の心は砕けてしまったのだ。
薬や催眠術で感覚を鈍らされていたから、効果がさめて感覚がもとに戻ったときにはもっとひどい状態になった。

この時の影響で、彼女は永遠に終わりのない精神病という状態にまでなってしまったのだ。
統合失調症という病名を付けられて、事件からしばらくは自殺未遂をする様になる。

この惨状を見ていたはずの一緒にいた撮影スタッフも何故か彼女のところには現れずにいたので、彼女は薬と催眠からさめたときに一頻り叫びまわって泣いたあとフラフラと部屋を出たところに偶然に通りかかった呪術師連盟のスカウトマンに保護されたのだ。

そのスカウトマンというのが山田正広の師匠であり上司でもある小鳥遊泉と言う女性である。
山田と中村紅葉は幼少の頃から知り合いだったが、世機と沙都子の様にはならなかったのは、紅葉に男性関係でトラウマとなるような過去が有ったからだ。
修行時代の山田は彼女の心を開くことに苦労したが、山田自身弟を原因不明の事故で亡くしていたので、紅葉のことを妹のように思っていたのかも知れない。

中村紅葉は過去のトラウマを思い出すと、体が硬直したり情緒が不安定になったりすることがある。
今でも精神科の受信は欠かせない。
男性に対する恐怖心も治らなかった。
それを隠すかのように、わざと幼い姿を強調しているのだはないかと山田などは思っているが、実は紅葉本人にもよくわからないのだ。
彼女の主治医などは、自分の身を守るために幼いままでいたいという衝動なのだと言っているが、本当にそうなのだろうか。
確かに彼女自身、そういうデザインの洋服などに身を包んでいると落ち着くという事に気づいてはいたので、多分そうなのだろうと本人も納得している。

中村紅葉のもう一つの癖は潔癖症に近いほどに汚れを嫌うことだ。
使用するパソコンは白いケースを好んだが、少しでも汚れがあると中性洗剤を含ませた雑巾で拭き掃除をしてからでないと、仕事に取り掛かることもできなかった。
汚れるのが気になって、仕事に支障が出たら命取りになる。
故に彼女は、攻撃力では群を抜いた才能を持っていたが、バックアップの仕事につくことしかできないのだ。

中村紅葉はパソコンを利用して一通り情報を集めてみた。
しかし思った以上に成果が上がらなかったので、調査の視点を変えてみることにした。

今までは小林さんの事件について調べていたが、協会がどう関与しているかについて調べてみようと思ったのだ。

パソコンデスクの上に置いたスマートフォンに手を伸ばす。
キレイな薄ピンクの筐体に、可愛らしいマスコットのついたストラップが付けられている。
画面の電話マークに指を置くと、表示が切り替わって電話が使えるようになる。
登録された氏名を探してタッチすると、指定の番号に電話がかかる。

あんまりこの手は使いたくなかったな。
中村が思っていると、数コールで相手が出てくれた。
「はい」
落ち着いた女性の声が耳元に聞こえてくる。
「中村です。お久しぶりです」
紅葉も負けずに落ち着いた大人の女性を演出するためか、いつもよりも低い声で応じる。
「どちらの中村さんでしょうか」
電話の相手が言うと、紅葉は歯を食いしばってスマホを持っているのと逆の拳を握りしめる。
知ってのとおりに相手にも番号や登録名が表示される仕組みである。
相手が登録してなければ、電話番号だけが表示されるが、相手が紅葉の番号を登録してあるのはわかっている。何という登録名かもわかっている。

「中村紅葉です」
「中村さん?ですか〜」
相手が吹き出したいのを必死でこらえているのがわかる。
「おかしいですね、こちらの表示は”ちんちくりん”ってなっていますよ」
と言って、相手は電話の向こうで思い切り吹き出して笑った。

紅葉は更に拳に力を込める。

「五月蝿いこのデカ女、可愛いあたしに嫉妬かよ〜」
「なんですってこの〜」
電話の向こうでうなり声が聞こえる。

デカ女と言われた方は名前を槇村紗千(まきむら さち)と言う。
紅葉とは知り合いである。
ある事件を切欠にして知り合った仲であるが、友達というよりも当人同士はライバルと言い合っている。
でも、お互いに嫌いなわけではない。
このやり取りは、いつものお決まりのギャグみたいなもので、二人を知る者は漫才と称している。

「で、何の用なの、紅葉」
紗千は事務的な口調で言う。

「小林陽太郎さんの事件は知っている?」
紅葉も普通に喋り始めた。

「手詰まり?それで私に?」
意地の悪い調子が含まれた問いかけに、紅葉はやり過ごす。

「なにか知っている?」
「なぜ協会が動いているのか、圧力というか手を引けと言っている理由ならば・・・」
「知っているの?」
紅葉は思わず体を前に乗り出す。

「それが全然」
紗千はため息混じりに答える。
「そっか」
紅葉もため息をつく。

槇村紗千は協会側の調査員なのだ。
協会と連盟は敵対関係ではないが、一応商売敵ではある。
だから交流も、公にはやっていないが、個人同士の交流は普通に行われている。
もちろん守秘義務などがあるので、仕事の内容や個人の情報などは漏らすことはない。
紗千が教えることができないのかとも思ったが、感じ取ったイメージからはそういった様子もなさそうだ。

「3日後の午後3時にいつもの喫茶店はどう?」
紗千はまるで恋人をデートに誘うような軽い口調で、紅葉を誘う。
「3日後・・・」
何を考えているのか、そうか!?

「分かった、3日後の3時だね、必ず行く」
紗千は3日後までに調べておいてくれるつもりなのだ。

紗千は女性にしてはかなりの長身で、スーパーモデル並みにスタイルのいい女性だ。
幼児体型の紅葉とは見た目がかなり違う。
スラリとして、スーツの似合うできる女性という見た目である。
インテリっぽいデザインのメガネもよく似合っている。
実際に彼女はインテリで、訳ありの人生を送っている呪術集団の中では珍しく高学歴であった。
外国語も4ヶ国語話せると言っていた。
しかし彼女も順風満帆な人生というわけではない。
両親が国際的に活躍する呪術師であったために、外国暮らしが長く、いじめられることも多かったと聞く。
そのために幼い頃からの友達などいないし、親友と言えるのは別組織に所属する紅葉だけだと、紅葉は紗千自身から言われたこともある。
あまり自分のことを語らない性格であるので、詳しい生い立ちなどは謎だった。
紅葉も紗千もお互いに過去のことはあまり詮索はしなかったから、互いに心地が良かったのかもしれない。

まったくタイプの違う二人であるが、性格は相性が良いのだろうと思う。
仕事のないときは都合が合えばよく二人で出かけたりもしていた。

「合うのは久しぶりだな」
軽口を叩ける相手のいない者同士である、出来れば仕事以外で会いたかったなと思いながらも、彼女に無理をさせるのではないかと心配して目を伏せ、通話を終了させた。

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夢幻回航

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