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Mrs.GREEN APPLEが教えてくれたのは愛と喜びだけじゃなかった

先週、ずーーーっとMrs.GREEN APPLE(ミセス)を聞いていた、というか、見ていた。YouTubeで、コンサート映像をずっとずっと流していた。


「🎵僕のこと」は八景島シーパラダイスのイルカショーで使われている時に初めて聞いて、涙をボロボロ流した。

シロイルカとトレーナーさんがプールの上でくるくる回っているのを見ながら、号泣していたのはたぶん会場で私だけだったと思う。

僕らは知っている
奇跡は死んでいる
努力も孤独も報われないことがある

🎵僕のこと より


それから何年か経ち、今度は「🎵ケセラセラ」のMVを見てまたボロボロ泣いた。赤ちゃんのお世話をしながら涙するお母さんの姿は、何回見てもこちらの方が泣いてしまう。

ケセラセラ
今日も唱える
何のせい?誰のせい?
勝てなくたっていい
負けない強さを持ちたい

🎵ケセラセラ より


そして先週、そのミセスがテレビで「ケセラセラ」について語っていた。

作詞作曲である大森元貴さんは「ケセラセラ」という楽曲についてこう言った。

「希望と諦観」


てい‐かん〔‐クワン〕【諦観】
読み方:ていかん
[名](スル)
本質をはっきりと見きわめること。たいかん諦視。「世の推移を—する」

あきらめ悟って超然とすること。「—の境地

小学館 デジタル大辞泉より

諦観ていかん」という言葉を初めて知った私は、その言葉をすごく、すごく好きだと思った。

諦めるんだけど、それは悪い意味じゃなくていい意味で、受け入れること、だと。

諦め方にも色々あるんだなって教えてもらった。逃げる、自暴自棄になる、がっかりする。だけじゃない。そういう意味の諦観。


ミセスの楽曲には、愛があって、希望があって、夢があって、勇気が湧いてくる。だけどそれだけじゃなくて、諦観がどこかに隠れてるってことが、やっと分かった。


生きてるとさ、クソみたいなこといっぱいあって、むしろクソみたいなことの方が多い気さえするんだけど。ミセスの音楽を聴いてると、それも全部含めて、ケセラセラ!って言ってくれてる気がしてくる。


そんな思いでライブ映像をずっと見ていた。

クールで努力家のギタリスト。
優しく微笑み包み込むピアニスト。
そんで全力で生きることを伝えるボーカル。

感じた事のない
クソみたいな敗北感も
どれもこれもが僕を
突き動かしてる

🎵ライラック より



具合が悪かったからぼけーっと見ていたんだけど、ミセス見てるとなんでか泣きながら笑えてきた。(すでにめちゃくちゃ元気です!ご心配いただいた皆様、ありがとうございます)


苦しい時、やってらんねぇよ!っていう時こそ、私はミセスにそばにいて欲しい。


そんなミセスのライブが映画になって公開中とのこと。絶対見に行くんだ。




#歌は心を豊かにする

蒼龍葵さんに捧げます🎵♡


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