見出し画像

集合体のひとつに過ぎなかった私が「わたし」になった日

名刺を作った。



私という人に名刺が出来たのは、実に20年ぶりとなる。


20年前、新卒で入った会社で営業職についた。
その時に渡された名刺はこんな感じ。


本田なにがし ○○会社 営業部 販売担当


まだ実績も何もない。白黒で、色のない名刺。
〇〇会社に勤める、新入社員の「私」


そして〇〇会社の私は、たったの1年でその名刺を捨てた。職を辞し、名刺を失い、何者でもないただの私になった。


次に派遣社員となった。
名刺は作られなかった。


派遣社員は長くても3年ごとに勤務する会社が変わるから、名刺など必要がなかった。8年間、何か所かの派遣先を転々とした。当時関わった正社員さんで、私の名前を覚えている人はいないと思う。

8年もの間、私は大勢いる派遣の中の一人に過ぎなかった。もしもあの頃の私に名刺を作るとしたらこんな感じだったと思う。

髪が長い派遣さん 営業部のシマの後ろから2番目


結婚し、退職してこどもを産んだ。
それからの私も、集合体のひとつだった。

〇〇くんのママ note幼稚園 ひよこ組

もちろん、夫と子どもたちにとっての私は唯一無二で、私じゃなきゃダメな特別な存在だとは思う。

だけど、私の名前は「ママ」じゃない。


専業主婦歴は10年にもなった。その間、私はずっと◯◯さんの妻で、〇〇くんのママだった。


私が名前で呼ばれたり、名刺が必要になる機会は20年もの間訪れなかった。

モブ中のモブ。マンガの中でもドラマの中でも、役名のない「母」という存在。

それが嫌だったわけではないし、この10年はあまりに必死で、自分のアイデンティティについて深く考えることはなかった。



そろそろ人生の折り返し地点が見えてくる頃、自分の半生を振り返った。
人生の半分は、名前を必要としてこなかったんだな、と思った。


それと同時に気がついた。
進学も、就職も、結婚も、子どもを持つことすらも、自分で決めたことだけど、そこには少なからず他者の介入があった。親が。祖父母が。夫が。
そしてそれは言い訳にも使えた。「だってそう言われたから」と。



2024年。
私は書くことを選んで歩き始めた。


これだけは。
「書くこと」は純度100%、自分で決めた。

書きたいと思って、書き始めた。
誰にも相談しなかったし、私が何を書いているかいまだに夫は知らない。画面の前で笑ったり泣いたりしていることしか。もう、言い訳はできない。

欲張りな私は、母以外の自分が欲しくなってしまった。書くことで「何者か」になりたくなってしまった。誰かの何かじゃなくて、名前を呼んで、覚えて欲しくなってしまった。








名刺を、作ったんだ。


20年ぶりの名刺は、白黒じゃなくて、色をつけた。役職も、アイデンティティも、名前すらも、自分でつけた。



まだこの名刺に出番が来たわけじゃない。
まだ必要とされていない、新しいわたし。


だけどこれは、初めて私自身で選んだ新しい「わたし」なんだ。



#自分で選んでよかったこと

この記事がよければサポートをお願いします。iPhone8で執筆しているので、いただいたサポートは「パソコンを購入するため貯金」にさせていただきます。