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インドから戻ったら、死の予行演習を始めることになった

インド編note書けなかった


「発信は生もの」
なんて言葉がある。その瞬間の熱量で発信した方が良い。熱量が落ち着いてしまった後で発信したところで鮮度が落ちてしまう。ということみたい。

前回の記事がインド行く前のテーマだった。帰国したら結果報告もしたいと思ってた。が、書けなかった。毎日のようにインドの体験からのインパクトがコロコロ変わっていきすぎた。

そのプロセスをそのままぐちゃぐちゃで書けば良かったかなと今は思う。そんなこんなで、ともあれ今今熱量が上がって取り組んでいることから発信して行こうと思う。

二つの人体実験


インドから戻りフレッシュに取り組み始めたこと。それは二つの人体実験。1つは男性性と改めて向き合い直すこと。もう一つは死を身近に生きてみること

この二つの実験に導いてくれたのはまさにインドの体験だった。ある方がインドのことをこんな風に語ってた。

「インドは魂だけひっつかんで濁流の中で振り回すところ。」

本質では無いものをそぎ落としてくれる場所とも言えるかも知れない。2年半ぶりのインドはまさにそんなインパクトをくれた。今まで無自覚に「自分 」だと思っていたことが違った。時に激しく、時に優しく教えられた。

そうなると、根源的な問いが突きつけられる。

「さぁ、これからどうする?どうある?」

ぶっちゃけ、よくわからない。ただ、興味が沸いたのが痛みと共に切り離していた男性性と向き合い直すこと。そして、人生の絶対的な真実「人は必ず死ぬ」ってこととより近くで生きてみることだった。

今日は「死」の方をまず。事業の中で、死生観を共に探求する場作りやリトリートは前々からの構想の一つだった。ただ、インドから戻ってみて、他者と共に深める前に「あれ、まず自分じゃね?」と突きつけられた。

死の予行演習


前置きが長くなった。そんなことで昨日、ちょっと一つワークを始めてみた。実際に病院に行き医師から「余命1ヶ月」と告げられることをイメージして、その1ヶ月を生きてみる。という実験。

「余命1ヶ月だったらどう過すか」というワークとしてはやったこともあったが、場所の力も借りてみたらどうだろう。好奇心が湧いたからだ。本物の病院でイメージしてみた方がより体感はあるだろう、と。

といっても、どこも悪くない人でよくわからん実験したい人をウェルカムにしてる病院はきっとない。ということで、外部の人も入れるカフェ併設型の総合病院へ行ってみた。

5階建ての総合病院で外には救急車が5台くらい止まっている。カフェもだだっ広い談話室のようなところとチェーン店のコーヒーショップの二つもある。相当でかい。

談話室の方が人がちらほらいるので、そちらの1つのテーブルに申し訳なさと共に陣取る。患者さんのグループもいれば、患者さんとご家族風もいる。白衣を着た方と患者さんかなというグループも。日の光が入る構造。透明感と静けさがある空気感。

1ヶ月と余命宣告されてみる


ここでやってみる。コーヒーを買って呼吸に意識を向ける。それからイメージしていく。

色んな検査を受けた後で、ドクターに呼ばれる。言いづらそうに専門用語を交えて話してくれ、「現代の医療では、治療の見込みはありません。」と。僕も言葉を選んで「実際のところ、どれくらいでしょ?」と尋ねる。厳かにドクターは言う「1ヶ月です」と。

リアルに想像できてないこともあるのか、意外にショックじゃない。ただ、恵ちゃん(奥さん)にどう話すかな。泣かれるかな。結衣(娘ちゃん)の晴れ舞台とかに出られないんだな。と思うと、ちょっとズキンと来る。

実際に余命1ヶ月ならどう過すか書いてみて


余命1ヶ月なら、どう過すか。

どこかで読んだことがある。やりたいことリストより、やらないことリストを先に書いた方が良いってやつ。その通りにしてみる。

やらないことリスト。いくつか書いたが、まとめると無為な時間は過したくないってこと。全部味わい切りたいから。何となくダラダラしちゃうのはもったいない。ダラダラするなら思いっきりダラダラを味わいたい。後、人間関係を広げることより、探求のために時間を使いたいってのもあった。

うーん。余命1ヶ月ならしたくないをことしまくっていた自分がいたんだな。

その後、やりたいことも書いてみた。その中で、娘が成人した後の晴れ舞台(結婚式でも就職祝いでも)で、見てもらう用の動画は撮りたいな。父母兄に先立つことにも動画撮りたいな。奥さんにも思いを伝える動画あってもいいかも、10年後に見てもらう用、20年後用とか。

これを書いた時はこみ上げるものがあった。帰りに思い出してホロリときた。

仕事上のことも出てきた。Saniwaの事業、形にできるだけしておきたいという思いもあった。やっぱり、いのちは存在しているだけで尊いのも間違いない。そう感じられるようになる仕組みやミニチュアの場作りのために何かしら一個石を置いて去りたい。

次なるワーク


と、ここまでやってきてふと書いたこと。死後、どう思われたいかを先にまとめてみたいなって。所謂、弔辞のワーク。7つの習慣では確か、家族・仕事上の人・友人・地域活動で関わる人、から一人ずつ、どう言われたいかを書いてみる。というのがあった。

せっかくなので、4人に限らず何人か気になった人から、こう言われたら最高だなってのを書いてみようと思う。すぐに取りかかりそれから1ヶ月の過ごし方を再度イメージしてみたくなった。

そしてもう一つ。その病院のカフェには週に1回くらい通ってみようかと思っている。実際の場合も病状の経過チェックもあるだろう。できるだけリアルにやってみたい。

ところで昨夜、あまり寝れなかった。しょうがないので、隣で寝ている恵ちゃんと結衣の寝息を聞いていた。寝息や布団がこすれる音、たまにちょっとした寝言。意外とうるさいものだ笑 今まで何とも思ってなかったけど、聞けなくなると考えると急に愛おしい音に変わるもの。不思議だ。

とりあえず、僕の命日は1月8日(として、生きてみる)。

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