人生と美学
精神分析の話とは無関係かもしれないと思いつつ、人生の分岐点に作用しているものとして、その人がもつ「美学」があるのではないかと、ふと思うことがあります。
昔、僧侶で大学教授だった方がいて、父の死に際して、相談したことがありました。すると、僧侶は「君ね、それはお父さんの美学かもしれない」ということでした。
「だから、それ以上、立ち入ってはいけない。芝居につきあいなさい」ということだった。
秋になると、父に花を摘みながら、毎年毎年、様々な想いがはぜます。今年も、そうでした。
対人援助をやっていると、クライアントさんにある「美」のようなものに目が向くことがあります。それを、カウンセラーが一種のストレングスのようなものとして見ていくかどうかは、けっこう大事な気がしています。
どんな人にも美学はあると思いたいけれど、そうではないのかもしれない、とも思う。
何かを「美しい」と思うとき、私はその背後にある「痛み」のようなものを感じている気がします。痛みというか、侘しさというか切なさというか、刹那というか、そういうもの。
そういうもの(痛み)を受容していくことを精神分析はお手伝いできると思っています。
それで、美学について調べていたら、思ったより的外れではなかったことがわかって、歴史的にも人間に共通する感性なのだなぁと思ったのでした。
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