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あの日の悲しみが、あったから

「さんごも、だめだったんだね。。」
そうラインがきた。
彼女とのやりとりは、辛いものがあった。
彼女の報告が、生まれてくるはずの2人目が、お空に行ってしまったことを告げるものだったから。
私も前に、と、告白すると、さんごもだめだったんだね、と、かえってきた。そうなんだよ。
実はね……。

それからしばらくして、私の娘と彼女の娘さんと、公園で遊ぶ日があった。

タイミングは、いつも自然と訪れる。
彼女の他にも友人たちがいたけど、その日は早く帰っていき、娘たちはすっかり打ち解けて2人で遊び始めたのだ。

大分日が高くなってきた昼下がり、芝は青々としていて、青空で。暑くもなく、気持ちの良い日だった。どちらともなく話し始める。
娘たちのピョコピョコした動きを遠目でおいながら、不妊治療のこと、だめだったときのこと、その後のこと……ゆっくりと、お互い話した。その状況は似かよっていて、2人目のために動く決断をしたことにすら、うんうん、わかるわかると頷いたのだった。

「私たちのところに生まれてきてくれたら、ホントに幸せになれるのにね」
やるせなさが、彼女をつつむ。
できる人は自然にできるのに、私たちのもとにはどうして、というやりきれなさと悲しみと。
悲しみを噛み締めながら、娘たちを見る。
「ホントに」
ほんとに。

自然のなかで、遊ぶ子どもたちは美しい。笑いあう姿が可愛い。
可愛くて、美しくて、平和で、悲しい。

悲しいけど。
2年前、おいおい泣いて帰ってきて、それでもお腹のすいて怒る娘に夕飯を作ったあの日の私がいたから、ここにいるんだ、と思った。
布団かぶって何年も引きこもりたくて、でも、娘のために、とりあえず笑ったり日常を送らざる終えなかった私がいたから、彼女の気持ちが痛いほどわかる。

あの日の私がいたから、彼女と少しでも、この悲しみを分けられた。

生命の儚さと、生まれてくる奇跡を感じられた。

「話せて良かった」と彼女が言った時、私も同じ気持ちだった。

同じ経験をしないと慰められないとは、思わない。一緒に悲しんで励ましてくれた友人も、何人かいた。
ただ、あの美しい光景を見ながら、沈黙をはさみながらポツリポツリと、話したあの時の空の美しさを共有できたこと。

2年前の悲しみが、ようやく役に立てた気がした。

そしてまた、私の気持ちもなんだかようやく救われたのだ。

#誰かの役に立てたこと

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