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我らが地球の子ども

最近、娘(3歳5ヶ月)がブランコにゆれながら、言った。

「そらがあおいねー!!!」

そして、はっと真ん丸の目が私を振り向いた。

「そらが青いから、地球が青いの!?」

その後、ブランコからおりた彼女は、芝生の山に登って公園を見渡した。

「まちがまーるくみえるよっ!!!」

その瞬間。
まーるいまーるい壮大なスケールの地球の上に立つ、彼女が見えた。
気がした。

小さな体を精一杯伸ばして、地球よりも太陽の方がとっても大きいことを表そうとする彼女。これは、絵本の影響。

「こんど富士山をぼるたりんぐしたい」という彼女が、いや、木の枝を恐竜の手かもしれないと急に怖くなってしまう彼女が、どれだけ地球のスケールを理解しているのかはわからない。

でも、

あの瞬間。

確かに彼女の下には、地球が見えた。

少し前に、私はとある大物が集まる保育の研修会に出席した。

感動したのは、夕食の間中、おしゃべりに花を咲かせなくても寂しくないよう、極上の生ピアノが演奏されていたことである。
こんな優しくて素敵なコロナ対応策みたことがなかった。
聞き惚れるうちに、涙が溢れてきた。

その数時間前、日中は豊かな自然の中で、岩がゴロゴロしている場所に降り立ち、解説を聞いた。火山が冷えて固まって、出来た岩肌を川が削り、そこに種が飛び、木が生える。何年の時を経て、私たちにこの姿を見せてくれているのだろう。
なにも寄せ付けないような岩のうえに、ふさふさと柔らかいみどりの苔。その可愛らしいこと。
自分のちっぽけさをおもい知り、大きくて小さな自然を尊敬し、私の人間関係の悩みなんて、なんてちっぽけなんだろうと本気で思えた。

研修会に来ていた方は素敵な方ばかりだった。
普段、最小単位2人(私と娘)で動くことの多い私にとって、こんなにたくさんのかたと話すのは久しぶりで、刺激的で勉強になることばかりで、もっともっと聞きたいことがたくさんあったほどだった。

なんだろう。
ここは笑いに満ちているのに、こどもについては真剣で、でも、だれも発言する相手を否定したりしない。
年齢も経歴もバラバラで、もし職場だったらおそれ多いような人も、子どもも、決してバカにしたり受け流したりしない。
そして、何歳でもどんな経験を積んでる方でも、学びたい意欲に溢れている。

そんな姿があるから、ペーペーのなかのペーペーの私は、おそれ多いくせに、場違いだとおもわずに発言を許されている。

なんという優しい世界か。

日中の大自然とあいまって、地球というスケールで優しい人たちが見えたら、ものすごく人というものが愛おしくなった。コロナウイルスでさえ、地球規模ではそういうことはあるだろうし、そこでオリンピックだ正月だと、いっている我々がアリのように見えた。

一方で、赤ちゃんやこどもの、なんと健やかなことか。3歳までは神の子とよくいうけれど、より自然に近い存在なんだなーと、感じた。

森のようちえんの先生が、おっしゃっていたことが印象的で。
~発達が気になるお子さんが、森のようちえんにはいって、好きなことを好きなようにやる、と、子どもたちがその子を認め、そのままで良いという関わりをしていくと、結果的に、発達が伸びるのが早い~
とだいたいそんなこと。

それって、引き上げようみんなと同じにしようと、しない方が結果的に引き上げられるということ!?凸凹をならそうとするより、凸凹がいいねという方が、凸凹じゃなくなっていくってこと!?

統計とって、研究結果出してほしいくらい。大事なことが潜んでいるのでは……!?

いっぱい刺激をもらって、帰ってから、娘に優しくなれた気がする。子どもの行動の意味づけは大人の心持ちが6割だなぁとつくづく感じる。自戒をこめて。
そうはいっても生活は、ちまちましたものの連続なのだし、やっぱり賃貸の壁に描かれるのは勘弁で、必死に止めて必死に消している、私は小さな人間だけど。

そんな小さなスケールの中で生きている私に、地球の大きさと、大きな時間の流れを感じさせてくれて、娘よ、優しい人たちよ、そして自然よ、ありがとうございます。

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