元保育士が、子どもを生むにあたってまず誓ったこと

実は、勤めていた保育園は素敵な園だった。給料と待遇が良ければ最高だったし、妊活がなかったらやめてなかったと思う。とんでもなく忙しかったけど、子どものことを心から考えて悩み、保護者の方も先生も尊敬できるかたばかりで、やりがいがあった。近ければ我が子を入れたいくらい。国産の食材、質にこだわった給食、手作りのおやつ。子がトイレットペーパー全部引き出しても、子どもにとっての学びととらえあったかく見られる、自由で落ち着いた雰囲気。

さてそんなこどもの最善を追及してきたところをやめて、妊活して無事に我が子を生む、となったときに、私が一番強く誓ったことがある。

それが……

『無理をしない』

ということだ。

なんだ、と思うかもしれない。
我が子にとって最高を考えるのが親だという考え方もあるかもしれない。

しかし思ったのは、

◎自分が辛くなるくらいなら、がんばることではない。自分の気持ちの変化に正直でいること。

◎娘が1日を全体的にみて、おおむね楽しかったなと思えるなら、オッケー。

◎健康や、娘の心に損失でなければオッケー。

◎人を傷つけたり、迷惑かけなければ頼るのはオッケー。

ということだった。

保育園を目標に頑張ったら、きっと落ち込むし倒れるだろうと思ったのだ。
だって、栄養士さんも、掃除のスタッフもいないし、シフト変わってくれる保育士さんもいない。

気持ちに余裕を持つことが、一番、子どもを大切にできるのではないか。

だから、紙おむつだし、レトルトや冷凍食品に頼るし、テレビに頼るし、人に預ける。

レトルトの離乳食があるから長く公園にいられた。
冷凍食品のおかげでお弁当が作れて午後まで遊べた。
手作りのおやつを手放したから、たまに一緒に作るおやつが特別なものになった。
テレビがあるから、落ち着いて食事が作れて、一緒にご飯が食べられたし、娘はいろいろ覚えた。

と思っているので、自分の判断は間違ってなかった、と思っている。
いや、私の判断は間違ってなかったかどうかが、大事なんじゃなくて、間違ってなかったと私が今思えていることが、大事だと思う。

今、畑を借りて野菜を作っているが、それは自分が楽しいから。娘のためという口実で私が楽しい。だから、娘が野菜を食べなくても食べても関係ない。
だから、私ががんばるのが楽しいとこだけ頑張ればいいと思ってる。

それくらいの距離感で、娘と共にありたい。

頑張らない、は、娘との対峙でも。
これは、元園の方針でもあるのだが、娘と戦うことが少なくて、助かっている。
もし、元元園で働いてるときに子どもが生まれていたら、もっと娘にたいして、こうでなければならないが、がんじがらめになっていたような気がする。

例えば、歯磨き。
仕込みは大事だけど……歯が生える前から口のなかに歯固めとか、異物が入ってもいい環境にすること、指や乳児用歯ブラシを入れて遊んで、楽しいものだと認識してもらうこと。大人が楽しく歯磨きしているのを見せること、をやっておく。
あとは、仰向けになった娘に母の歯ブラシで母の歯を磨いてもらいながら、その間に娘の歯を磨き、嫌がったら無理はしない。
最近は、娘が出てくるお話を作りながら磨いたり、
気分をのせる演出はするけど、本当に嫌なときは歯を磨かない。

磨かない勇気(笑)。これが何日も続くわけじゃない。

例えば、野菜や肉。
元元園では、苦手な食材はスプーンにかくしてでもあげるのが普通だったが、今は違う。堂々と出し大人がおいしく食べる。これ食べないだろうなーと思うものは、ほんとに少しだけ皿によそう。その一口を頑張って食べさせる、というためのものではない。食べたらやったね!だけど、もし残したとしても、母のお腹がパンパンにならないためだ。
食べさせることを頑張らない。

そうしていたときに、娘が「今日のピーマンはにかがかったの。あしたは苦くないのにして」というようになった。確かに、思い返せばお昼のピーマンはいつもより苦かった。食べない理由が娘のなかでちゃんとわかっている。食べるか食べないかより大事なことだと思う。

イライラの原因を、今、ほんとに必要か根本から疑ってかかると、そんなに気にしなくてよくなってくる。

って、まぁ、娘にイライラしない私が、パパにはイライラするのは、なんだかんだ頼りにしようとしてしまっているからなんだろうな……反省。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?