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赤ちゃんと向き合って辛いなら、向き合わなければいいと思うことについて

尊敬する保育士の先輩方の背中をみて教えてもらったのは、赤ちゃんの頃の子育てを、楽にするコツだった。

ちなみに子どもを上手く誘導するノウハウではない。
保育のノウハウ(たとえば、トントンしたり背中を掻いてあげたりすると寝やすいとか)は、その子その子によって違うから、万能なものはない。


役に立ったのは、むしろ逆。

赤ちゃんの気持ちに、こちらが寄せる技術

泣いている赤ちゃんがいるとして、なんで泣いているのかわからない、泣き止ませたいのに泣き止まないと思っていると、どんどんつらくなっていくし、母として、自分をせめてしまいそうになる。
こんなに泣かせてかわいそうだとか、こえとか周りの目とか、色々なことが気になってきたり……。

もしくは次々と引っ張り出されるティッシュ。ああもうっなんて、言いたくもなる。

そこで、だ。

アテレコしてみるのだ。

「あーん、なんかおなかすいたよー。でも眠いよー。やっぱり眠くてなんだかどうしたらいいかわかんなくなっちゃったよー!!」

と、なれば、「どうしたらいいかわかんなくなっちゃったねー。困っちゃったねー」なんて抱っこして、まずは思いを受け止めることに集中できる。

泣くことは悪いことじゃない。
泣くのは気持ちを主張する手段で。
泣けるのはちゃんと自分の気持ちをいっぱい出せることで。
自分の気持ちに向き合う時間でもあるらしい。

そうやって、自分の気持ちと向き合い、少しずつ折り合いをつけていく練習をしているから。

「知らない場所にきて、なんかいつもと臭いが違ってちょっと心配になったねぇ」
「夜中うっかり目が覚めちゃったねー。しまったねーなかなか眠れなくて困ってるねー」
「『なにこのおっきなおとー!?』びっくりしたねぇ」
そうやって、アテレコして気持ちをまず受け止めながら我が子に接していると、親としても楽な気持ちになれることに気づいた。なんせ初っぱなから泣き止ませなければならないという『ねばならぬ』呪縛から抜け出せるから。

同じように、ティッシュを出す赤ちゃんをアテレコしてみると、
「これ、なんだろう……そういえばままがここ引っ張ってたような、よしっ引っ張ってみよう。えっ!また出てくる?まさか、もう一度引っ張ったらどうなる?また出てくる!よし!もう一度検証だ!早く引っ張ったらどうだ?次々引っ張ったらどうだ?いっぱい出てきた!!あれ?この紙薄いし、両手で持ったら破けた!こっちも!このくらいの力加減で両手を使えば破けるんだ!すごい発見だ!」
と、思っているかもしれない(ほんとはもっともっと高度な検証実験しているかもしれない)と思うと、こっちまで楽しくなって、頭ごなしに止めてしまうのはもったいなく思えてくる。

まあ……たためばまた使えるし。

先輩は、こどもは科学者の目を持っているといっていた。
だから、よっぽどでないかぎり、大人の都合でそれを止めることはほとんどなかった。
危ないことから守る名目で、先回りして、こどものやりたいことを止めることもあまりなかった。
高いところに登ったとき、だめと下ろすんじゃなくて、落ちても怪我にならないような対策を施す。
下にいて手を待機させとくとか、ぶつけると怪我になる場所にクッション置くとか物をどかすとか。

「よし!やってみよう!足をどのくらい伸ばすと届くかな?これくらい力いれると登れるんだな。降りるときはドキドキするなぁ、大人を頼ろうかな?いやいや、自分で。足からおりてみようかな?こないだ尻もちついたから、今回は慎重に行こう」

アテレコしながらよくみてみると、小さなこの人たちが実に良く見ていろんな事を考えていることが分かってくる。

いろんな赤ちゃんによって、それぞれ見ている視点が違うことも、分かってくる。
ある子は色が気になって、ある子は音が気になって、ある子はさわり心地が気になって……etc。娘はちょっと出てるものが気になって、こたつのネジとかぬいぐるみのタグとかを検証していた。

そして、アテレコしてると分かってくるのが、誰一人として、大人を困らせてやろうなんて思って泣いたりティッシュ出したりする赤ちゃんなんかいないということ。

ちょっとイヤイヤ期にはいって、物を投げたり、怒って寝っ転がったりするときも、アテレコすると、大人を困らせようとしているというよりも、自分の気持ちの持っていき方がまだ下手なだけだと分かる。

「ああもう、この怒りどうしたらいいの、もうっモヤモヤするー!」

私自身、そういうときって、大人にもあるなぁと思う。ストレス発散の仕方がわからないだけなんだと思うようにしている。とりあえずバッティングセンターでホームラン打ちたい気分(行ったことないけど)。
で、バット振り上げたら、「バット振らないっ」て頭ごなしに怒られたら、きっともうどうしたらいいかわからなくなるだろうなと思うようにしている。だから、先輩がしていたように「モヤモヤするよねっ!怒るよね!そうだよね!」って、まずは共感してあげたいと思う。
ここだとボール飛ぶと危ないから、こっちの方がいいよと素振り用の竹刀を渡す(例えがアレですが)のは、その後かなと思っている。

こどもと向き合うのが大変だったり辛いなら、向き合わなければ大分楽なのだ。
それは私が辛かった最初の保育園を転職して、素敵な先輩方と出会って感じたこと。
させねばならない、教えねばならない、「ねばならぬ」と向き合うのではなく、こどもと並んで同じ向きになる。こどもの見ている視線の先を追う。

私は、娘がまだしゃべれないときは、たまに声に出してアテレコして、あざとく周りの人の理解を得ていたが、あんまりやり過ぎるとただの変な人になってしまうので、大半は心のなかでやるようにしている。

あと、本人の心がすべて分かるわけではないことも、分かった気にならないようにしよう、分かりたい、分かろうとする努力をしようとも思っている。

もちろん
いや、そうは言ってもこれは許せん、こっちだって大事なご飯投げられるのはたまったもんじゃあないぜ
等というときもあり、それも人の親としてはありかなとも思っているが、

アテレコしてみると、
「もう、なんでテレビばっかり見て私のこと見てくれないの、こっちみて、ほら、面白いことしてるよ」ぐちゃぐちゃぁ……
ということもあるので、多いに反省して謝る次第である。

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