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『思い』を伝えるのが上手くないひとたちほど、『思い』があるのだと心しなければいけない

前に勤めていた保育園に、先日自主研修してきた。
タイトルは、その時主任の先生が言っていたことば。

0歳のクラスには歩き始めの元気な子たち。

研修といっても、見知った顔ぶれの先生たちに気分はただいま。
そうそう、そうだった。こんな雰囲気だった。 

コロナ前は、全国から見学の先生方が来て、涙を流して帰られることもある、そんな保育園。「穏やかな空気が流れている」と言われることも多いし、私もそう思う。

穏やかな空気ときくと、
こどもたち喧嘩もせず
集中してなにかに取り組み
ニコニコして先生と過ごしている

そんなイメージがあるかもしれない。

で、こどもたちに目をやると、いやいや、0歳児だって、取り合ったり、叩いたり、泣いたり、甘えたり、ふざけたり、ケラケラ笑って楽しい時間と同じくらい、表情が忙しくくるくるかわっている。

おもちゃは投げられることもあるし、
食事に集中できないで椅子ズリズリすることもあるし、
高いところ登っちゃったりするし
使ってたおもちゃを他の子がとっちゃうこともある
転んで泣くこともある

と、マイナスな表現をわざとしてみたが、
実は、そこの大人の捉え方が『穏やかですね』に繋がっている。


例えば、Aくんが持ってたぬいぐるみを、取りにいったBくんがいる。
引っ張りあいになってBくんが持っていっちゃってAくんが泣いた。

そこで大人はなんて言うか。

「Bくんダメでしょっ!人のもの取らないのっ!」
と、言うとする。
保育の場は凍りつき、周りの子は(ダメな)Bくんに集中し、Bくんからいかに返してもらうかが焦点になる。

そこで、園でなんて言ってたか。

「Bくんの大事なうさちゃんだったー?(普段からお気に入りでよくもっているようだった)Aくん遊びたかったねー。もってっちゃって残念だったねー」

Bくんの気持ちを受け止めつつ、Aくんの残念な気持ちに寄り添っている。

Aくんの残念さが他の子にも伝わり、別の子がティッシュを取ろうと奮闘している。
Aくんの涙を拭くために。

別の子が違うおもちゃをもってきた。
これで遊ぶのはどう?って。

そうこうするうちに、Bくんが大事なうさちゃんだけど、かしてあげるよとばかり、返しに来た。
ぽんっと投げられるうさちゃんに、Bくんの気持ちがあらわれている。ほんとはBくん持ってたかったんだなぁ。でも、Aくんのためにと決断したんだなぁ。

そうなるともう、保育者は、「ありがとう」の嵐である。優しい気持ちが広がってる。

 

高いところ登りたいなら、登っても良いところ作ったらいい。

おもちゃ投げたくなったら、投げても良いおもちゃがあれば良い

椅子ズリズリのなかには、友達とおなじという共感の気持ちが隠れている。

転んだとき、起き上がらせてほしいかは、子どもが自分で決める。だから、保育者は転んだときすらも、手を差し出して一呼吸待つ。
だっこしてほしいと、手を上げたら声をかけてだっこする。

その一呼吸は、あなたの気持ちを聞きますよ、尊重しますよのサイン。オムツがえの時も、シャワーの時も、口を拭く時も、エプロンはずす時も。まずは声をかける。  

泣くのも怒るのも、ネガティブに捉えられがちな感情も、全部尊重されると、泣いてても怒ってても周りの子も受け入れて穏やかな空気になっていく。
困った行動を止めたとしても、その子の気持ちは否定しない。それは、気持ちをまだ上手にことばに出来ない人たちだから。

研修終わり、主任の先生と話していて、主任の先生が言ったことば

『思い』を伝えるのが上手くないひとたちほど、『思い』があるのだと心しなければいけない

ちいさいひとたちもそうだし、障害で上手く表現出来ない人たちも、お年寄りの人たちも、言語がちがうひとも。みんなそうだ、と。

大人は、わかってもらえなかったと思ったら、愚痴れるしネットに書き込めるし、誰かに当たることも出来てしまう。あとからこれはこういうつもりだったと、いいわけも出来る。

だけど。

気持ちを上手くことばにできなくて、出る涙や、衝動や、行動をみて、大人はなにができるだろうか。

こどもを大人扱いするのとも違う、まるごと尊重して、思いを分かりたいという気持ち。

本当に大事なことだな。心していきたいなーと思ったことばだった。

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