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『いいこだよ』って誉めてるようで責めてたんだな。

数年前、あるお母さんと知り合った。

一生懸命なお母さんで、明るくて気遣いできる人。
そのお母さんが悩んでいると言う。
我が子にたいして厳しくなってしまう、と。

そんなお母さんにたいし、私は言葉を間違った。

「エーちゃん(息子さんの名(仮名))、いいこだよー」
と言ったのだ。

間違ったことは、すぐに分かった。そのときのお母さんの寂しそうな笑顔と「みんな言うんだよね~」という返事で。

特定を避けるため少しフィクションをいれるが、
ある親子グループで知り合ったなかに、その親子はいて、
お母さんの悩みを聞いたあと、当時3歳の息子さんに会って、みてると確かに一つ一つに引っ掛かっている気がした。
エーちゃんが誰かのおもちゃに興味をもって触ろうとするとき「あんたはなんでそうなの」と怒り、
エーちゃんがお母さんの背中に抱きつくと、「ベタベタしてきてうざいのよ」と。
それは確かに一歩引いてみているこちら側からすると、そこまで言わなくてもいいこなのになー。と思うものだったし、エーちゃんの寂しそうな顔をみたし、それに対してお母さんが悩んでいることを知ってもいたので、軽い気持ちで
「エーちゃん、いいこだよー」
と、フォローしてしまった。

でも、お母さんの顔をみて、私は自分が誉めたつもりでいて、傷つけてしまったことにきづいた。
やってしまった。

「いいこだよ」
という言葉は、その子を誉めているようで暗に、

「言うほど、悪い子じゃないんだから、そんな風に言わなくてもいい」

と、お母さんを責めてしまっていたのだ。

エーちゃんがいいこだなんてそんなことはお母さんも重々分かっているはずで。
悩みに対して、そのお母さんはいろんなところに相談したり、対処しようといろいろしていた。
気遣いのできる、まわりに優しいお母さんだからこそ、我が子が迷惑かけないように。でも、言いすぎてしまうことも自覚して、相当悩んできたはずだ。

児童精神科医、佐々木正美先生の『子どもへのまなざし』のなかで、保育士が陥りやすいことのひとつに、子どもの幸せを考えるあまり親を敵にしてしまうこと、ということが書いてあった。
親と子の両方の幸せを考えるときに、まず先に考えるべきなのは親の幸せだと。親が幸せでなければ、子どもが幸せになるはずがないからだと、はっきり書かれているのが印象的だった。
本を読んだのは最近なので、当時の私は知らなかった。だが、まさに、子に対してフォローしているつもりで親を責めてしまった、と思った出来事だった。

私が友人としてできることは、楽しく過ごすこと。
私のなかで秘めたる"やってしまった感"はあったが、その後、お母さんの明るさに救われ、気まずくなることはなく、グループで何度かわいわい遊んでいるうちに一年くらいがたった。

ある晴れた日、それは久しぶりのみんなで集まっての
公園遊びだった。
エーちゃんは、同じ年の男の子ビー君と意気投合し、ふざけあっていた。お母さんも、ビー君もいる手前、そんなに強い言い方はしていない。だんだんエスカレートした二人は、軽いいたずらを始めた。
ベンチの上に立ち上がり、う○ちだの、あの子どもにとって気軽に笑える言葉ベストテン、みたいな言葉たちを、並べて歌い踊った。

ああ、なんだ、ちゃんと育ってる。
こんなにちゃんと、やりすぎられてる。

私は安心して、爆笑してしまった。

思わず

「いいねぇー」

という言葉が口から出た。

そしたら、あの時寂しそうな笑顔を見せていたお母さんも、怒らずにわははと楽しそうに笑った。
ビー君のお母さんも笑った。

いいんだー

そういったかもう思い出せないけれど、お母さんがそういった気がした。

そのとき、分かった。
「いいこ」の呪い。

自分だって、

我が子が「いいこ」かどうか、なんて、他人からいろいろ言われたくない。

それよりも、まるごとの我が子をいいねそれがいいよ、と言ってもらった方がどれだけ救われるか。
ふざけすぎるところも、喧嘩するところも、のんびりしているところも。
それこそちゃんと育ってる証拠。
もちろん親は対立しなきゃいけないときもあるし、付き合ってられないときもある。一生懸命向き合うからこそ、何もかも嫌になるときもある。

できれば周りみんなに好かれる、「いいこ」に育てたい思いもある。

でも、「いいこ」じゃないときにも、どんなときも、斜めの関係で我が子を好きでいてくれる人がいたら、それだけでどれだけ気持ちが楽になるか。
子どもらしいやりすぎも、嫌々も、笑って許し、かわいいなと言ってくれる人が、いるだけで……。

グループで遊んでいるとき、みんながみんなの子を笑ってみていた。だから、気持ちが楽なんだなー。少なくとも私は気持ちが楽だった。
そして、そのお母さんもきっと。
そう思ってくれてたなら嬉しいな。


エーちゃんの手には、お母さん手作りのドングリバッグが握られていた。なんだかんだ、きっとエーちゃんは大丈夫。

あれから数年、子どもたちの年齢も上がり環境が変わり、コロナもありそのグループで集まることはほぼなくなってしまったけど、またどこかで、成長したエーちゃんに会えたら嬉しいなーと思っている。

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