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『まとまらない言葉を生きる』/ 荒井裕樹 | これからどんな言葉を残していくべきか

もしも私が「自分の生きる意味」について論証しようとして、うまく論証できなかったとしたら、私には「生きる意味」がないということになるのでしょうか。そんな理不尽な論証を求められたとしたら、私はそれを暴力と認識します。

『まとまらない言葉を生きる』P92

いろいろな言葉が紹介されている本。単に偉人の発言や名言みたいなものではなく、ほとんどが、障害や病気とともに生きる人たちの言葉だ。

「言葉が壊れてきたと思う」という話からこの本は始まるけど、その通りだと思う。若者の言葉遣いや正しい言葉、みたいな話でなく、あらゆる場面の言葉が壊れているとは自分も思う。

切り取られたり、コンパクトにまとめられたコンテンツが多すぎる。でも別に自分もそれを享受しているからな…となんとなくモヤモヤした気持ちで読み進める。

代表的なこととしてあの「相模原事件」の話がある。障害者には生きている意味がない、という犯人の言葉。SNSでそれに賛同している人を自分も見た記憶がある。それに賛同するつもりはさらさらない。ただ例えば文句ばかり言う高齢者とそれを介護する高齢者や、ひどく自分勝手な生活を送って生活保護を受けている人なんかを見てなんとなく嫌な気持ちにはなる。そういった事象全てを受け入れるのも正しいわけではないけど、何か「生きる価値」があるかないか、みたいな考え方を小さくは持っていたとは思う。

そんな中、引用部分の言葉を読み、自分自身の考え方を意識させられた。生きる意味みたいなものを人に求めてどうなる?そもそも自分に生きる意味があるのか?あるとしてそれを説明できるか?しないといけないのか?むしろ考えるべきことは人とどう共に生きるかではないか?

忙しい毎日の中で仰々しい本、例えば障害者や難病を持つひとについてのノンフィクションなんかを積極的に手に取るのは難しいと思う。この本は言葉にまつわる本で、障害とかそういうことよりも、必死に生きている人達の言葉が載っているので、凝り固まった自分の考え方を見直すきっかけになると思う。

「自己責任」についての話も思うところがあった。なんでも自己責任って言われすぎてるけど、その範囲が広がりすぎてないか?と言う話。ほんとそう。なんか嫌だな、と思ってはいたけど、言語化してくれていて腑に落ちたことが多かった。

人間の勇気なるものは、天から降ったり、地から湧いたりするものでなく、勇気が出せる主体的、客観的条件が必要である。

『偏見への挑戦』/長島評論部会

自己責任の話で紹介されている言葉。
ブラック企業に入って自殺した人に対して、そんな会社に入った自分の責任、嫌なら辞めればよかったのに、みたいな論調で話す人が多すぎる。弱っている人に勇気を振り絞らせる行為を善としているな、と思うし、このままいくと他人の痛みへの想像力がどんどんなくなっていくと思う。

いろいろな角度から心を揺さぶってくる本だと思う。なんとなくぼんやり思ってる違和感について答えを出すというよりも一緒に考えてくれる本だと思う。

小説「正欲」なんかを読んで思うところがある人なんかにオススメです!

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