見出し画像

ジショーコウ


たまに、とても強い衝動が巡ってどうしようもなくなる時がある。あれが欲しいとか、パートナーに抱きつきたくて堪らないとか、そういうものならいいのだけれど。人として、言ってはいけないことを言いたくなる衝動だ。

欲しいものはまあ買ってしまえばいいし、パートナーに抱きつきたければ好きなだけそうすればいい、向こうもきっと喜ぶはずだ。

でも、人として言ってはいけないことを言ってしまえばいい、なんて結論は下せない。自分が崇高な人間だなんて思わないけれど、ダメなところなんて山ほどあるけれど、人としてダメだと自分に対して思ってしまうのは嫌だ。苦しい。上手く言えないけれど、どこかから戻ってこれないような気がする。

余談だけれど、「自分のお母さんがこれをしてたらどう思うか」ということを考えると、とるべき行動、とらざるべき行動が自ずと判断できるのは、私流ライフハックだ。

でも、それができるのは頭が冷静な時。

孤独や怒りや不安や悲しみでいっぱいいっぱいのとき、そういう考え事すらじっとできなくなってしまう。ネガティブな感情のパワーといったら凄まじい。ポジティブよりも実はパワフルなのではと思っている。

そんなとき、ものすごく強く葛藤する。人としてダメなことを勢いに任せて言ってやりたい、何かをズタズタに傷つけたい衝動、自分を嫌いになりたくない自尊心。一つの体が相反する二人の私で葛藤するのは、かなり苦しい。

そういう時、人はどんな行動に出るのだろう。

最近気付いたけれど、私は自分を傷つけて葛藤をやり過ごす癖があるらしい。いわゆる自傷行為というやつにあたるのかもしれない。

あえてご飯を全然食べずにいたりとか。太ももを切ってみたりとか。多分、強い身体感覚で葛藤を誤魔化してるんじゃないかな。


急に痩せたり、低血糖でふらふらしていたり、太ももに長い切り傷をつけた私を見て、夫は「どうしたの」と尋ねる。甘えて何か人としてダメなことを言いたくなったり、冷静になって自己嫌悪してたりする私は、その言葉に黙り込んでしまう。


「俺なりに大切に思っているから、自分を傷つける君を見ていたら悲しいよ」

なんて、ある日言われてしまった。
なんで私が私を傷付けると、私じゃない人が悲しむんだろう。一瞬不思議に思ったけれど、立場を逆に考えてみると、なるほど、悲しいかもしれない。

でも、どうすればいいんだよとも思う。

答えは出ないけれど、自分にプラスになる自傷行為をできたらいいのかもしれない。そう思った。


話は突然変わるけど、私には行きつけのお気に入りのマッサージサロンがある。
ちょうどよい力加減で筋肉をほぐしてくれて、ホスピタリティも最高で、リーズナブルで、最高の行きつけだ。だけど、その行きつけサロンよりもっと家に近くて、ゴリゴリの力でマッサージをしてくれるサロンがある。時に、そこのゴリゴリが恋しくなることがある。

孤独で苦しくて悲しくてイライラする夜。ふとゴリゴリマッサージをされたくてふらりと立ち寄ってしまった。人肌が恋しかったのもあるかもしれない。

やっぱり痛かった。痛くて、でも気持ち良くて、サロンを出た後の気持ちはニュートラルだった。

行きつけの方が優しいに決まってるんだけど。これも自傷行為なのかな。


それでも、体は軽かった。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?