自分の本音にふと気づいた話
今日の気づきを残したいと思います。
ここ数日、ああ安心していいんだと気づけました。なんだかニコニコ気分よく過ごせる時間も増えて、とても気分よく過ごしていました。
しかし、今日はエゴが大騒ぎしていました。主に下記のようなことです。
「興味ない振りしてたけどやっぱりこの現実が嫌だ!!」「今起きてることに耐えられない!」「心が苦しい」「理由は説明できないけどすごく嫌だ」「でもいやでも自分の力ではどうすることもできない」「受け入れるしかないけどとてもつらい」「いやだいやだいやだ」「うまくいかなかったらどうしよう」「また自分が傷つく結果になったらどうしよう」「彼が私を選んでくれなかったらどうしよう」
急にドバーっと来たのでだいぶ頭の中もぐるぐるしたし、抑え込まず受け入れて落ち着いてもまたすぐ不安が襲ってきてしまいました。
不安は叶ってる証拠だね、そうだね、私はどうしたら安心できるのかな?と自分の中の願望や具体的にどうだったら安心できるのかを自分に問いかけていました。
そして気が付きました。私、安心したいと思ってる、と。
だから「安心したい」状況になる現実が展開していると。
文章に書くとすごくわかりやすいし、何を当たり前のことを書いてるのだという感じなのですが、本当にさっきまで気が付いていませんでした。
私は「安心したい」と叫び続けていた。安心したいから「なる」をしていた。そしてそんなことはしなくてよくて、安心しているを選べばいいことも同時に気づきました。
そこから数時間経ちますが、とても気持ちが落ち着いています。
こんなことを書いているとエゴが安心したいから安心しているを選んでるんじゃない??とささやいてきました。笑
そっかそっかと。ただ安心してます。を選んでます。この現実は安心している現実になったのです。
ここ数日の安心は現実を証拠にして得られていた安心だったなということにも気づきました。たった今。
まだだるまさんが転んだをしてる感じですね。。でも気づけたし、それをしていた自分もいとおしく感じます。それだけ安心したかったんだな、と。エゴ踊りに一緒に踊ってあげてたんだな、と。
達人さんがただ安心して、自愛して、気分よくいて、という意味もストンと腑に落ちました。ああ、こういうことだったんだな、と。
全部つながっています。
ああ、安心していればいい。とてもいい気持ちです。
今日はこの辺にしておこうと思います。ありがとうございました。
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