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雲南日本商工会通信2018年11月号「副会長の挨拶」

 「天行健。君子以自彊不息」易経の始まりの語句で、「天行はいつも健。人間である君子は以て自らを強めて息(や)まぬ」という意味らしい。四書五経の始めに位置する易経は占いの元になった書物で数千年をかけて編集されたものとの事。
 春夏秋冬があり、朝陽がのぼり夕日がしずむ極めて規則的な世界にありながらも、人間は喜怒哀楽や景気や株価や流行に右往左往してしまって、自分よりも他人や周囲に視線がいくことを戒めたものでしょうか。
 天行は健なのでしょうが、人間の行いは健とは限りませんから様々な問題を自らが引き起こしていることも少なくないでしょう。
 
 「野生動物には病院や薬がなくても病気が少ないのに、人間はなぜこんなに多くの病院や薬や健康食品が必要で、それでも健康に問題が多いの?」
 10年ほど前に、ある人が私に提起したこの質問は、結構、意表を突いて、それ以来ずっと頭の片隅にひっかかっていました。
 食品会社の端くれで仕事していて、マクロビオティックや、糖質制限や、添加物など、食品と健康に関連する仕事をしてきて、少しこの質問に答えられる素材が増えてきたので、仮説をまとめてみます。
 
その1:精製
食品企業と精製は切っても切れないほど深い関係にあります。精製とは目的に必要な成分だけを残すことで、砂糖も塩も米も麦もエキスもすべて繊維や別成分など食味に悪影響する部分を排除するのが、精製の目的です。物質によってはそれをさらに化学合成させるとまさにその目的物質100%が完成します。自然界には存在しないこのような精製物質を毎日食べているのが人間で、ここが野生動物と異なる所でしょう。仮に易経の「天行健」が正しいとすればこの精製品だけを摂取していることは、かなり天行には矛盾していると言えます。米を例にすれば、もともと玄米を食べればビタミンも食物繊維も豊富でバランスしている(健)ものを、白米に精米することで健「康」部分である「糠(ぬか)」を取り除くことで白い「粕(かす)」にして食べているわけで、それで食物繊維やビタミンの錠剤が必要になるという訳の分からない生活をしているのかもしれません。自然界にあるものは、基本的には「健」に資するものなのに食品会社が加工することで「偏」にしているというのは全体で見た場合には正しいような気がします。
 
その2:添加物
 日本で認可されている食品添加物は1400種類くらい。その中で化学調味料といわれるものは400種類あまり。もちろん動物実験をして安全性(?)を確認しているわけですが、人体実験をして確認しているわけではありません。さらに何種類もの添加物を一度に長年摂取した場合の検査をしているわけでもありません。何よりも人間が食し始めて(開発、認可を受けて)数十年しか経過していないわけで、長い目で見れば今、人体実験をしている状態でしょう。アトピーやぜんそく、アレルギーや不眠など、天行健で生きる人間が原因不明の「不健」となる状況にあるのは、何か原因があると考えるのが自然なような気がします。
 
 食品会社で30年以上を働いてきましたが、「美味しいものが出来たので買って食べなさい」「本物そっくりの食感と香り」と言った形で商品開発して売るのが商売としては成功の道で、今もそれは続けられています。
しかし、その事自体が「健康」に対してはプラスというよりも、マイナスを作りだしているのではないかという気がします。
 それにより医薬業界も健康食品業界も潤っているわけですが、この状況を簡単に言えば、「消費者の嗜好に寄り添うことで売上と不健康を作りだし、その不健康によって健康食品と医薬業界が潤う」というのが現状でしょう。
易経の編集者がこの状況を見ると「バッカじゃない? 毒喰って解毒剤飲んでるのは、自分で叩いて自分で撫でているのがわかんないの? それは自弱不息で、休むことなく身体を弱くしているにすぎないんだよ」というかもしれません。
 
 そういう事もあって自らの首を絞めるような糖質制限の「D糖生活」と一切の添加物を拒否した調味料「純膳生活」をやろうと決めたわけですが、たぶん、健康を深く考えていくと「食べ物」に行き着くようには思います。「病は口から入り、禍は口から出る」という事に気がつく人が増えるのではないかと夢想します。
 悪いものを喰って、それを薬や健康食品で辻褄を合わせようとしてもそれは無理な事でしょう。本当は加工食品など食べないで、一物全体、身土不二。自家菜園での野菜と野菜クズを食べたニワトリと玄米を食べていれば、天行健には最も近いものと思います。
 美味しいものをお腹いっぱい食べたいという欲求は19万年以上を飢餓と闘ってきた人間のDNAにプリントされている事でしょう。そうでないDNAはすでに飢餓で死に絶えているので、現存人類は糖質に対して中毒的な渇望反応を示すのは理由のある事です。しかし、飢餓適応体質に適応した人類が、飽食を続けるとやはり不調になるのも道理はあるのでしょう。糖尿病になるとインポテンツになる。太った女性は妊娠しにくい。こうして飽食適応できない遺伝子は次世代に引き継がれず淘汰されるのも新しい人類の進化の形態なのかもしれません。
 
 今の理解はそんなところで、誤解を生む内容だったかもしれませんが、同じ易経に「書は言を尽くさず、言は意を尽くさず」と素敵な言葉が書いてあります。言葉は意味を正しくは伝えられない曖昧な道具と考えていただき、「美しい誤解、素晴らしい誤読」をしていただければ幸いです。

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