雲南日本商工会通信2021年12月号「編集後記」
私が住んでいる立川は、戦後は米軍が進駐していた名残でガラが悪く、競輪場もあったため、不良やヤクザで溢れていました。非力だった私もおびえながら街を歩いたものです。しかし、かつての立川基地も昭和記念公園という名の大公園に変わり、いちおう都心から通勤圏内にあることから、最近では若いファミリー層が多く移り住むようになりました。
ある日、いつものように車の通りの少ない横断歩道を信号無視して歩いていると、後方から「あの人、赤なのに渡ってる~」と男の子のかわいい声がしてきました。おそらく、お母さんとこどもが信号を待っていたのでしょう。
私はなんだか恥ずかしくなり、こう思いました。
(母親は子供の言葉に対して、なんと答えるのだろう。「あの人は悪い人だから、まねしちゃダメよ」とか言うのだろうか。もしかしたら俺に「子供の教育によくないからやめてください」と言ってくるのかもしれない)
一方でこうも思いました。
(そもそも赤信号を渡るのはなぜよくないのだろう? 危険だから? しかし、いま明らかに危険ではない。では常識だから? 法律で決まっているから? とはいえ、常識や法律はなぜ守らなければならないのか? 社会秩序を維持するため? しかし、いま秩序を破壊したとは思えない。こどもの教育に良くない? いや、車も通ってない道を信号が変わるまでボーっと待っていろと教えるほうがむしろ良くないのでは?)
私がこんなに面倒くさい男になったのは、かつて上海に留学したせいです。
留学したのは1994年の秋のことでした。噂通り、信号無視する人が多く、「民度が低いな~」と苦笑していたものです。しかしある日、「逆に日本ではなぜあれほど信号を守るのだろうか」という疑問が生まれました。「誰もいない砂漠でも、日本人は赤信号があったら立ち止まり続ける」というジョークがあるのも知りました。
信号を守るのはすなわち、「自分で判断するリスクを最大限に避け、判断は誰か(たとえば法律や政府)に丸投げする」に等しいのではないか――。
それがきっかけになり、あらゆることに「なんで?」を繰り返すようになっていったのです。
かつて、コロナ対策についての街頭インタビューで「政府がはやくルールを決めてほしい」みたいな声を聞きました。しかし「なぜ自分で決めないのか。企業経営者なら分かるけど、普通の市民がなぜ?」と思っていました。
そんなわけで、信号を順守する国民はある意味、とても危ういと思います。一方の中国でも、高速道路を悠々と横断し、スコーンとトラックにはねられる動画ニュースを見るにつけ、信号を守らない国民もまた危ういと思うわけですが……。